【あさが来た】五代友厚「カンパニー」構想とはどんな計画?

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第5週(10月26日〜)に、聞き慣れない「カンパニー」なる言葉が登場します。この記事では、五代友厚(ディーンフジオカ)が大阪でぶち上げる「カンパニー」の計画について簡単にまとめます。

新しい商業振興「通商会社」と「為替会社」

明治新政府は、それまで各藩が独占的に行ってきた外国との貿易や商品流通を、政府主導で行う政策を実施しています。これにより通商司が東京、大阪、京都、堺と各開港場に置かれ、その通商司が指導する形で「通商会社(主に外国と商取引を行う会社)」と「為替会社(主に金融。前述の通商会社に資金を供給するなど)」がつくられます。

大阪でも、政府要職にあった五代友厚が大阪発展のために豪商らに対し「大阪為替会社」と「大阪通商会社」(いずれも政府、民間が半々の形で)の設立を強く働きかけることになります。状況からして、これがドラマで登場するところの「カンパニー(会社)」構想にあたると思われます。

大阪商人を結集させる計画「カンパニー」構想

当時の大阪の商業界は幕府が倒れ新政府が樹立したことに加え、都が東京へと移ったことで大きなダメージを受けていました。これまでの藩単位、一企業単位(江戸時代にも鴻池、天王寺屋など商家自体はあった)といった概念を超えた経営体制を確立しなければ、今後重要となる諸外国との商取引が対等に出来ないことを五代は痛感していたのです。

五代の提唱する構想は、時代の混乱により空中分解状態だった大阪商人たちの力を結集させた上で、共同出資・株券発行・配当の支払いという現在の株式会社の形態の萌芽となる形をとる、先見の明あふれるものでした。

大阪の自力での発展、復興のために、五代は大阪全体を”ひとつの会社”と考える構想が必要不可欠だと考えたのです。

「カンパニー構想」その後

▼大阪・中央公会堂南側(北区中之島-丁目1)にある「大阪通商会社・為替会社跡」の碑。


「あさが来た」では、当初加野屋は「カンパニー」への参加に難色を示しますが、正吉(近藤正臣)が参加を表明すると、大阪商人の多くが協力を申し出ることになります。混乱の世を生き残った加野屋は、それだけ大阪商人の間で信頼を得ていたということでしょう。

史実でも加島屋(加野屋モデル)は五代友厚(政府)の構想に参加。当主・広岡久右衛門が鴻池らとともに主導的な役割を果たし、明治2年に「大阪為替会社」「大阪通商会社」が設立されています。

しかし具体的に良い商売があったわけでもなく、結局構想は上手くいかずに明治6年には営業いっさいを為替会社に譲渡。その為替会社も通商会社以外の諸会社に貸付けを行うなどしましたが焦げ付きが発生。明治7年に解散しています。

短命に終わった「大阪為替会社」「大阪通商会社」ですが、「通商会社」はその他の会社企業の勃興の要因となり、「為替会社」も後に登場する国立銀行への橋渡し的な役割を果たしたともいわれ、一定の成果を後世に残しました。

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