【あさが来た】五代友厚が亡くなる 死因(病気)、年齢、お墓はどこ?

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場し、人気の人物となっている五代友厚(ディーン・フジオカ)ですが、第16週(1月18日〜)において五代友厚は亡くなってしまいます。

この記事では、「あさが来た」で五代友厚が亡くなる経緯、若くして亡くなった史実の五代友厚の晩年の様子、死因等についてまとめます。

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目次

第16週 急速に衰弱する五代友厚

朝ドラ「あさが来た」で五代友厚の体調に異変が生じるのは、第16週(1月18日~)放送の初め頃。商法会議所に出かけたあさ(波瑠)は顔色が優れず「私が死んでも五代がつくった大阪は残る」などと不穏な発言をする五代の様子に不安を覚えます。

五代は、あさに対して気丈に振るまい病気であることを隠していました。後に新次郎(玉木宏)が五代を訪ねると、すでに五代は重い病気に蝕まれ、弱り果てた姿になってしまっています。

五代は新次郎の計らいもあり、あさとしばしの二人きりの時間を過ごしますが、その後病気療養のために五代が東京へと向かうと、そのまま二人の再会は叶わないものとなってしまいます。

【追記】「あさが来た」では、本来であれば2015年末の放送をもって五代友厚は亡くなる予定だったそうです。しかし、ディーン・フジオカ演じる五代友厚の人気ぶりがあまりに高まってしまったため急遽脚本を書き換え、2016年1月22日放送分まで五代の命を「延命」したとのこと。ディーン・フジオカは2021年の大河ドラマ「青天を衝け」でも五代友厚役を演じて人気となっており、いかにハマリ役だったかがわかります。

49歳、糖尿病で亡くなる

史実の五代友厚は、明治18年(1885年)9月に、療養中の東京で亡くなっています。死因は糖尿病とされ、まだ49歳の若さでした。

五代は亡くなる前年には大阪商船 (現在の商船三井)の開業、大阪堺鉄道(現在の南海鉄道)の設立に貢献するなど精力的に活動していました。次第に病に冒され身体がやせ細る中、死の間際まで仕事を行なっていたとも言われます。

▼五代友厚の墓があることで知られる大阪市設南霊園(阿倍野墓地)。墓地中央にランドマーク的に五代のお墓が。
住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19

亡くなる直前には大阪に新邸建築

五代は亡くなる直前の明治18年1月には、大阪・中之島の淀屋橋近く(現在の日本銀行大阪支店)に新居を建てていました。肥後橋にあった広岡浅子(ヒロイン・あさのモデル人物)の加島屋からもほど近い場所でした。

東京で亡くなった五代の亡骸は東京・築地から横浜〜神戸へと船で運ばれ、中之島の自邸に到着しています。大阪での葬儀では数千名にのぼる弔問客が訪れ、実業界を中心に、大阪は深い悲しみに包まれました。

死して多額の借金を残す

「東の渋沢栄一、西の五代友厚」と呼ばれ、わずか49年間の生涯の間に後世に残る多くの偉業を成し遂げた実業家・五代友厚。彼の死後に明らかになった書簡が、彼の「本当の姿」を物語っています。

それによれば、彼が残した書簡の多くが金の無心や、借金返済の猶予を訴えるというもの。あれだけの才覚がありながら、財閥を組まず財産も残さず、それどころか多額の借金を抱えていたー。いかに五代友厚が私利を捨て、日本のために身を捧げて働いていたかがわかるエピソードといえます。

▼2021年の大河ドラマ「青天を衝け」では、主人公・渋沢栄一(吉沢亮)と交流する五代友厚(ディーン・フジオカ)がたびたび登場しています。朝ドラ「あさが来た」では渋沢栄一役を三宅裕司(当時60代)が演じていました。
【あさが来た】「神様」渋沢栄一(三宅裕司)と出会う 広岡浅子とは実際に交流があった?

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