【あさが来た】五代友厚が亡くなる 死因(病気)、年齢、お墓はどこ?

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」に登場し、人気の人物となっている五代友厚(ディーンフジオカ)ですが、第16週(1月18日〜)において五代友厚が亡くなるとの発表がNHKからなされており、ファンの間で話題になっています。

この記事では、「あさが来た」で五代友厚が亡くなる経緯、若くして亡くなった史実の五代友厚の晩年の様子、死因等についてまとめます。

第16週 急速に衰弱する五代さま

ドラマ「あさが来た」で五代友厚の体調に異変が生じるのは、第16週(1月18日~)放送の初め頃。商法会議所に出かけたあさ(波瑠)は顔色が優れず「私が死んでも五代がつくった大阪は残る」などと不穏な発言をする五代の様子に不安を覚えます。

五代は、あさに対して気丈に振るまい病気であることを隠していました。後に新次郎が五代を訪ねると、すでに五代は重い病気に蝕まれ、弱り果てた姿になってしまっています。

五代は新次郎の計らいもあり、あさとしばしの二人きりの時間を過ごしますが、その後病気療養のために五代が東京へと向かうと、そのまま二人の再会は叶わないものとなってしまいます。

49歳、糖尿病で亡くなる

史実の五代友厚は、明治18年(1885年)9月に、療養中の東京で亡くなっています。死因は糖尿病とされ、まだ49歳の若さでした。

五代は亡くなる前年には大阪商船 (現在の商船三井)の開業、大阪堺鉄道(現在の南海鉄道)の設立に貢献するなど精力的に活動していました。次第に病に冒され身体がやせ細る中、死の間際まで仕事を行なっていたとも言われます。

▼五代友厚の墓があることで知られる大阪市設南霊園(阿倍野墓地)。墓地中央にランドマーク的に五代のお墓が。
住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19

亡くなる直前には大阪に新邸建築

五代は亡くなる直前の明治18年1月には、大阪・中之島の淀屋橋近く(現在の日本銀行大阪支店)に新居を建てていました。肥後橋にあった広岡浅子の加島屋からもほど近い場所でした。

東京で亡くなった五代の亡骸は東京・築地から横浜〜神戸へと船で運ばれ、中之島の自邸に到着しています。大阪での葬儀では数千名にのぼる弔問客が訪れ、実業界を中心に、大阪は深い悲しみに包まれました。

死して多額の借金を残す

わずか49年間の生涯の間に、後世に残る多くの偉業を成し遂げた五代でしたが、死後に明らかになった書簡が彼の「本当の姿」を物語っています。

それによれば、彼が残した書簡の多くが金の無心や、借金返済の猶予を訴えるというもの。あれだけの才覚がありながら、財閥を組まず財産も残さず、それどころか多額の借金を抱えていたー。いかに五代友厚が私利を捨て、日本のために身を捧げて働いていたかがわかるエピソードといえます。

こうした五代の「本当の姿」は、ドラマでも三味線のお師匠・美和(野々すみ花)によって、あさに伝えられる流れになりそうです。

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