【あさが来た】「薩摩いろは歌」(日新公いろは歌)とは?大久保利通が諳んじる

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」12月23日(水)放送分より。大久保利通(柏原収史)が諳んじた「薩摩いろはうた」についてまとめます。現在も薩摩地方の教育に大きな影響を与える歌です。

あさ、五代と初対面

五代友厚(ディーン・フジオカ)の招きにより、東京見聞にやってきたあさ(波瑠)。あさは東弘成館(ひがしこうせいかん)と呼ばれる五代の東京の事務所で、「政府で一番エラい」内務卿の地位にある大久保利通と出会うことになります。

突然の大物の登場に、あさは大久保と五代の関係性を尋ねます。

善きあしき、人の上にて身をみがけ…

大久保利通と五代友厚は同じ薩摩(現在の鹿児島県)出身の盟友。大久保は五代を「心の友」だと表現し、「薩摩いろはうた」の以下の首を諳んじます。

善きあしき、人の上にて身をみがけ 友はかがみと なるものぞかし
(自分の行いの善し悪しを知るのは難しいが、他人の善し悪しであればよく目に付く。友人をよく見て、良きことは見習い、悪いことは反省せよ。)

島津忠良「日新公いろは歌」

この「薩摩いろはうた」は「日新公いろは歌」とも呼ばれ、薩摩藩の郷中教育(ごじゅうきょういく)を支える基本精神となっているものです。※「郷中教育」は薩摩藩伝統の縦割り教育で、「郷中」は現在の町内会組織のようなもの。

「日新公」とは薩摩島津家・中興の祖であり、日新斎(じっしんさい)の号で知られる島津忠良(1492年〜1568年)のこと。島津忠良は儒教的な考えを元にした教育論を47首の歌としてまとめています。「いろはにほへと…」47音を頭にした47首の歌は、薩摩武士の規範となり、現在の薩摩地方にも受け継がれ影響を与えています。

「い」 いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
(古くからの立派な学問や教えを口で唱えるだけでは役立たない。それを実行することが一番大事。)

「ろ」 楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそは 高きいやしき
(立派な御殿に住んでいようと、粗末な小屋に住んでいようと、それで人の価値は判断できない。人の真価は心の在り方にある。)

「は」 はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで
(人間は明日死ぬかもわからない。学びの機会を明日に引き延ばすのではなく、今日、この時を大切にすべき。)

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