【あさが来た】「加野屋」のモデル・加島屋 その歴史、関連企業とは

スポンサードリンク

この記事では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」でヒロイン・あさ(波瑠)が嫁ぐ「加野屋(白岡家)」のモデルとなっている「加島屋(広岡家)」についてまとめます。あさのモデルである広岡浅子は、17歳の時に大坂有数の両替商・加島屋(夫は広岡信五郎)に嫁いでいます。

鴻池と並ぶ豪商・加島屋

加島屋(かじまや)は寛永2年(1625年)創業の米問屋、両替屋です。後に鴻池と並び「十人両替」の筆頭となるなど、江戸時代を通じて大坂を代表する豪商でした。

浅子が嫁いだ幕末・維新期になると、各藩に融資していたいわゆる「大名貸し」が明治維新により回収不能になるなど、加島屋の財政は苦しくなっていきます。それに加えて「銀目廃止」による現金化要求の殺到、新政府への多額の献金(結びつきを持つため)などが重なり、加島屋の蔵にあった資金は底を尽きて、ついには借金をするまでになってしまいます。

危機に三井家からの嫁・浅子が大活躍

そこで大活躍したのが、京都の豪商・三井家から嫁に入っていた広岡浅子でした。(※浅子の夫・信五郎は分家の養子に出されており、当主となっていません。)

浅子はまだ若かった本家の広岡正秋(信五郎の弟・九代当主)の代わりに陣頭指揮をとり、諸藩の屋敷を訪ね返済を迫ったり、借金先から返済猶予の約束を勝ち取ったりと、男勝りの交渉術、戦術を駆使してこの難局を乗り切ります。

炭鉱事業で再生、「加島銀行」「尼崎紡績」「大同生命」創業

その後、新しい商売を模索していた浅子は自身の持参金や嫁入り道具、それに加島屋の米蔵売却資金などを注ぎ込み、福岡県の「潤野炭鉱」を買収します。浅子はピストル持参で炭鉱に乗り込み、荒くれ者の炭坑夫達を説き伏せて信頼を勝ち得て、炭鉱事業を軌道に乗せます(加島炭鉱)。

この炭鉱経営で勢いを取り戻した加島屋は、「加島銀行」、「尼崎紡績」(信五郎が設立に関わり、初代社長)などを創業。再建を託された「真宗生命」を浅子の主導で「北海生命保険」「護国生命保険」と合併し「大同生命保険」を設立させるなど、多角経営に乗り出し、加島屋の基盤は盤石のものとなっていきます。

「大同生命」「尼崎紡績」「加島銀行」のその後

「大同生命」では、初代社長を広岡正秋が、2代目を浅子の女婿・広岡恵三が務めた後、3、4代目社長も広岡家出身者が務めました。1947年、大同生命は相互会社に転じ、加島屋が営む会社から保険契約者がオーナーとなる会社に移行。現在でも日本有数の保険会社として知られます。

また、浅子の夫・信五郎が初代社長を務めた「尼崎紡績」も、現在は「ユニチカ」という企業名で知られます。(※ドラマでは「阪神紡績」として登場。)

「加島銀行」は昭和12年(1937年)に、昭和恐慌により廃業しています。

これらの企業について、詳しくは【あさが来た】ヒロイン「今井(白岡)あさ」モデル・広岡浅子が関わった企業、事業、団体まとめの記事にまとめました。

関連記事
【あさが来た】ついに加野銀行が開業 モデルは加島銀行
加野屋と山王寺屋(加島屋と天王寺屋)のあった場所、両家の距離
大同生命の設立経緯、社名由来 広岡浅子(加島屋)が設立の中心に
【あさが来た10/13】加野屋の「朝のお誓い」(社訓)の内容とは
【御用金・銀目廃止】「あさが来た」加野屋が苦しむ幕末、維新期の両替屋事情【大名貸し負債】
【あさが来た】あさが嫁ぐ白岡家・加野屋とは?名門豪商に次々と襲いかかる危機
【あさが来た】蔵野炭鉱(加野炭鉱)のモデルは潤野炭鉱
【あさが来た】加野炭坑売却へ?モデル・潤野炭鉱は明治32年に国に売却

スポンサードリンク

スポンサードリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサードリンク

PAGE TOP ↑