【あさが来た】はつの嫁ぎ先・山王寺屋(眉山家)モデルは天王寺屋(大眉家)

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」より。ヒロインの姉・はつ(宮﨑あおい)が嫁ぐことになる山王寺屋(さんのうじや=眉山家)と、そのモデルとなった大坂・今橋天王寺屋(大眉家)についてまとめます。

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目次

姉・はつの嫁ぎ先は天王寺屋

今井家に生まれた女子は、御家の繁栄のために大坂の商家に嫁ぐことが決まっています。親同士の取り決めにより、姉・はつは大坂一の両替屋・山王寺屋の長男・眉山惣兵衛(柄本佑)が、妹のあさ(波瑠)は同じく大坂の老舗豪商・加野屋の次男・白岡新次郎(玉木宏)が、それぞれ許嫁として決まっています。

はつが嫁ぐ山王寺屋は、大坂随一の両替屋。プライドが高く何でも自分で決めたがる女将・姑の菊(萬田久子)が幅を利かせ、はつはなかなか眉山家に馴染めません。やがて幕末から維新の混乱により山王寺屋は倒産、はつと眉山家は貧民窟で逃亡生活を送ることを余儀なくされます。

▲「あさが来た」の原案「小説 土佐堀川」にも、異母姉・春(はつのモデル)の転落、逃亡生活が描かれています。

モデルは大坂屈指の両替商・天王寺屋(大眉家)

この山王寺屋(眉山家)のモデルとなっているのが、ヒロインのモデル・広岡浅子の異母姉である春が嫁いだ、大坂・今橋の天王寺屋(大眉家)です。春は浅子と同時期に天王寺屋五兵衛(てんのうじや・ごへえ)のもとに嫁いでいます。

商才溢れた初代・天王寺屋五兵衛

天王寺屋は大坂最初の両替商で、寛永5年(1628年)に初代五兵衛が「天王寺屋五兵衛店」を構え、大坂で初めて「手形」による金融を始めています。紛失や強奪のリスクを回避できる「手形」というシステムが好評となり、五兵衛は莫大な手数料を得て財を築くとともに、預金を募り貸付け業務も行う現在の「銀行」にあたる業務を開始。瞬く間に大坂の金融界を席巻します。

なお、初代は眉が人一倍長く垂れ下がっていたことから「大眉」と呼ばれ、やがてそれが五兵衛の本姓となっています。(「大阪人物辞典」(清文堂 三善貞司編)を参照)

幕末から維新、名家の没落、夜逃げ

以後、代々大眉家当主は「天王寺屋五兵衛」を名乗り、江戸時代を通じて繁栄しました。春が嫁ぐ幕末頃まで天王寺屋は大坂でも筆頭の両替商として知られましたが、やがて各藩大名や幕府に多額の資金を貸し付けていたことなどが、御家の転落を招くことになります。

徳川幕府が倒れ明治新政府の世の中になると、大名や幕府へのそれまでの貸付金の回収が困難になり、資金繰りが悪化。ついには多額の負債を抱えて倒産し、春一家は逃亡生活を余儀なくされてしまうのです。この時期、大坂では他に和泉屋、万屋、升屋などの大手両替商が相次いで倒産しており、残ったのは浅子が嫁いだ加島屋(ドラマでは加野屋)と、名門・鴻池屋だけだったそうです。

長屋から夫とともに再起を図る

ドラマの原案「小説 土佐堀川」によれば、谷町長屋の貧民街に身を落とした春は、縫い物などをしながら家計を助け、再起を図りました。夫・天王寺屋(大眉)五兵衛も、朝から天秤棒を担ぎ、物売りに歩き回りったそうです。

残念ながら大眉家は明治の中頃に断絶しており、現在子孫は残っていないそうです(追記:一部報道で子孫が現存するとの情報もあるようです。詳しいことがわかり次第追記します)。

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加野屋と山王寺屋(加島屋と天王寺屋)のあった場所、両家の距離

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