【あさが来た第12週】義父・白岡正吉が亡くなる

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第12週(12月14日~)より。この週、加野屋の前当主であり義父・白岡正吉(近藤正臣)は病に倒れ、いよいよ最期の時を迎えることになります。

引退した正吉 心臓発作で倒れる

加野屋久左衛門の名を三男の榮三郎(桐山照史)に譲った白岡正吉。正吉は妻・よの(風吹ジュン)とゆっくり旅がしたいなどと隠居生活への展望を語っていましたが、以前に新次郎が見抜いていた通り、正吉の身体には病魔が迫っていたのでした。

第11週のラストから第12週にかけて、正吉は心臓の発作により倒れ込んでしまいます。意識を取り戻した正吉は「久しぶりにお伊勢参りに行きたいなあ」とよのに語りかけますが、正吉の身体にもうそんな体力は残っていませんでした。

サトシ(松造)との和解

第12週では、正吉は長年わだかまりが残っていた松造(納屋頭・サトシ)との和解を果たします。松造はかつて加野屋で働いていた大番頭の息子。大番頭が加野屋からの暖簾分け後に借金を抱えた時に、正吉が商人としての筋を通して金を貸さなかったことから、松造は正吉を恨んでいたのでした。

死が迫る正吉にとって最後となるこのエピソードは、商人として実直に生きてきた正吉の人柄をよく表したものとなりそうです。正吉は松造と和解を果たした後に日に日に弱っていき、ついにはよのに手を握られながら、その生涯を閉じることになります。

モデル・広岡正饒は浅子結婚後4年で他界

白岡正吉のモデルとなっている広岡正饒(ひろおか・まさあつ)=八代目加島屋当主・広岡久右衛門は、1869年(明治2年)に亡くなっています。これは広岡浅子が加島屋に嫁いできてから4年後のことで、第12週時点で結婚からすでに10年以上経過しているドラマの時系列とは異なります。

「あさが来た」の原案「小説 土佐堀川」によれば、正饒は「商人の家に大人しいだけの女はいらん。根性と才覚のある御寮はんになっておくれ」と浅子に期待を寄せ、その能力を高く買っていたようです。

明治維新の後、加島屋のことを浅子に任せられると安心した正饒は、明治2年に64歳でその生涯を閉じています。正饒亡き後、九代目・広岡久右衛門として広岡正秋(ドラマでは白岡榮三郎として登場)が26歳にして加島屋を継ぎ、信五郎、浅子に見守られながら加島屋を盛り立てていくことになります。

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