西門悠太郎が経験した大阪の火事は、明治期に実際にあった大火がモデル?【ごちそうさん】

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NHK朝ドラ「ごちそうさん」三週目、卯野家の書生・西門悠太郎(東出昌大)は卯野め以子(杏)に、自身の辛い過去の体験を打ち明けます。それは悠太郎が建築学を学び、都市計画・まちづくりを志すキッカケとなった出来事です。

悠太郎は12歳の頃に、実の母を大阪の街の火事で失っています。ドラマ上では火事の詳細には触れませんでしたが、この時期の大阪では木造住宅密集地から火が出て大火事になるケースが実際にありました。

明治時代にあった大阪の大火

そうした火事の中で「北の大火(1909年・明治42年)」「南の大火(1912年・明治45年)」が大きな大阪の火事として記録に残っています。

現在、物語の時代設定は1922年(大正11年)。悠太郎は帝国大学に通う身であることから19歳以上と推測されます(当時、帝大の修業年齢は19歳からでした)ので、仮におよそ20歳前後とすると、悠太郎の生まれは1902年(明治35年)前後ということになります。

前述した「北の大火(1909年・明治42年)」「南の大火(1912年・明治45年)」は、時期的に悠太郎の幼少期に発生しており、当時の大阪ではまだまだ火事が惨事へと発展することもあったようです。「コンクリートによるまちづくり」が未来を創るという帝大教授の教えも、当時の日本の都市の状況を考えれば当然のことなのでしょう。
大阪・北の大火
▲大火で焼け野原と化した大阪・北区付近。「大正昭和の大阪写真集3」より

北の大火・甚大な被害

「北の大火」は、1909年7月31日未明に当時の北区空心町のメリヤス製造業者宅から出火し、折からの強風に煽られて西へ燃え広がり、1万戸以上の家屋を焼き尽くしました。焼失面積は1.2平方キロ、羅災者数は4万人を超え、いわゆる「キタ」一帯は壊滅状態になりました。これは明治以降の大阪で起きた最大の火災です。

当時、上下水道は普及していたものの水圧が低く、消火活動はままならない状態。火の進行方向の建物をあらかじめ破壊・倒壊させておく行動も見られましたが延焼は止められず、結局ほぼ24時間に渡って燃え続け、堂島大橋北詰付近でようやく鎮火したといいます。

南の大火・明治期最後の大火

「南の大火」はその3年後の1月16日夜中に発生。難波新地4番町の貸座敷で、隣接の風呂屋の煙突から出た火の粉が屋根に燃え移り出火。

こちらも強風により延焼、約10時間に渡り街は燃え続け、東西1.4km、南北400mに渡って焼失。全半焼戸数4千戸超、羅災者数は1万8000人近くにのぼりました。こちらはキタほどの被害規模ではありませんでしたが、明治時代最後の大火として記憶されています。

悠太郎の志は日本の都市を変える

悠太郎のセリフからは「大火事」の表現は出てきませんでしたが、路地が狭く逃げ道がなかったという悲しい状況は、当時の大規模な火災に共通のものだったと思われます。

日本の都市は江戸時代以前にも繰り返し大火事を起こしており、その度に街は灰塵に帰してきました。木造が密集する街において、火事の発生は即、人命の危険を意味したのです。近代化とともに火災に強いまちづくりが進んだ日本ですが、きっと悠太郎のような志を持った建築家たちが、信念を持って都市建築のコンクリート化を推し進めたのでしょう。

翌年には関東大震災も発生

なお、現在東京編の時代設定は1922年(大正11年)で、翌年にはあの「関東大震災」が発生します。恐らくめ以子はその時は東京に居ないと思われますが、卯野家と開明軒の安否が心配されます。本郷のあたりは山の手にあり、資料によれば恐らく震度は5弱から5強程度だったと推測されます。この出来事も、後々ストーリーに絡んできそうです。

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