村岡花子は「赤毛のアン」の翻訳をいつ始めるの?

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「赤毛のアン」の翻訳はいつ始めるの?

NHK連続テレビ小説「花子とアン」の放送も残す所あと1ヶ月半。これから戦争の時代へと突入し、物語も佳境へ向かうものと思われます。

さて、そろそろ皆さんも疑問に思い始めているかも知れませんが、一体いつになったら村岡花子(吉高由里子)は「赤毛のアン」の翻訳を始めるのでしょう。このままでは「赤毛のアン」を書き始める前にドラマが終わってしまいそうな勢いです。

第20週(8月11日~16日)放送現在、ドラマの舞台は大正15年(1926年)。史実の村岡花子がカナダ人婦人宣教師ミス・ショーから「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」(ルーシー・モード・モンゴメリ著)の原書を受け取ったのは昭和14年(1939年)のことです。

そのあたりの時系列、経緯を簡単にまとめてみたいと思います。

ミス・ショーから託された「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」

カナダ人婦人宣教師ミス・ショーは、花子も働いていた出版社・教文館にやってきた縁もあり花子と懇意となり、数年来、ふたりで冊子「小公子」の編集をするなど大変に親しい間柄でした。

長らく日本で女子教育や出版に携わって来たミス・ショーでしたが、戦争の空気が色濃くなった昭和14年、止むなく帰国の途につきます。

その時に二人の友情の記念としてミス・ショーから花子に手渡されたのが、「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」でした。 

「いつかまたきっと、平和が訪れます。その時、この本をあなたの手で、日本の少女たちに紹介してください。」

「ミス・ショー、お約束します。平和が訪れた時に、必ずこの本を翻訳して、日本の多くの人に読んでもらいます。それまでどんなことがあっても、この本を守ります。」

(↑いずれの発言も「アンのゆりかご」(新潮文庫)より引用。)

ジフテリアで長期療養した花子 翻訳を急ぐきっかけに

当時、英語は敵国語とみなされる厳しい時代。英語の文学を翻訳していることが憲兵や特高に見つかれば、花子の身に危険が及びます。

花子は受け取った「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」に描かれたカナダの情景、生活文化に胸を熱く焦がしますが、いつか「平和が訪れた時に」きちんと翻訳にとりかかろうと考えていました。

その考えが変わったのは、昭和18年(1943年)に花子がジフテリアにかかり、二ヶ月間の隔離療養生活を体験した時。

「平和な時を待っているのではなく、今、これがわたしのすべきことなのだ。」

(↑「アンのゆりかご」(新潮文庫)より引用。)

そう強く感じた花子は、危険を承知で翻訳を開始します。

「赤毛のアン」刊行は昭和27年

「花子とアン」第一回放送でも描かれていたように、花子は戦火の中でも「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」の原書を大切に守り切ります。

終戦の年、昭和20年(1945年)についに訳了、昭和27年(1952年)に三笠書房より「赤毛のアン」として刊行される事になります。

訳了時の昭和20年、花子は52歳でした。出版時は59歳。恐らくドラマの最終盤で、この時代に辿り着くのではないでしょうか。

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