村岡花子の息子・歩が急死 多くの乳幼児の命を奪った「疫痢」の恐怖とは

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NHK連続テレビ小説「花子とアン」第20週より。関東大震災で郁弥(町田啓太)を失った村岡家に、再び悲しい出来事が訪れます。

この記事では、ドラマで愛息・歩が亡くなってしまう経緯と、当時の疫痢の恐ろしさなどをまとめます。

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突然高熱にうなされる長男・歩(あゆむ)

関東大震災から3年が経った大正15年(1926年)のこと。

ある日の夕方、村岡家のやんちゃ盛りの長男・歩が突然高熱を出して寝込んでしまいます。往診に駆けつけた医師の診断によれば、歩は「疫痢(えきり)」にかかっているとのこと。

息子の急病に心配が募るはなと英治。二人の願いもむなしく、歩は急速に体力を奪われていくことになります。

大正時代に猛威 疫痢とは?

「疫痢」とは赤痢菌によって引き起こされる症状で、大正10年代から戦前まで、特に乳幼児(2歳から5歳児が中心)に多く見られました。

細菌性赤痢の重症型で、一般的な赤痢の症状である高熱や下痢(出血を伴う)に加え、けいれんや血圧低下、意識障害などを引き起こします。

疫痢にかかった乳幼児は短時間であっという間に死亡してしまう例が多く、乳幼児の命を奪う病気として恐れられていました。疫痢は1964年以降にはほとんど見られなくなっています。

「黒い大きな目」は死の前兆

医師の治療により一度は意識を取り戻した歩。突然パッと目を覚まし、黒い大きな目でキョロキョロと病室を見回します。

キラキラと輝く歩の目を見て花子はホッと一安心するのですが、実はこの「大きな黒い目」という現象は高熱により「脳症」を起こした証しであり、致命的なものだったのです。

歩はわずか5歳にして、短い生涯を閉じます。あっという間の出来事に、英治も花子もなす術がなく、夫婦は深い喪失感に襲われることになります。

疫痢で急死した村岡道雄の実話が元

歩の死は、実話が元になっています。村岡儆三・花子夫妻の長男・道雄は5歳で疫痢にかかり、わずか二晩で亡くなっています。道雄は亡くなる間際、突然黒い目をぱっちり開き、キョロキョロと周囲を見渡し、その後白い泡を口から吹いたそうです。

道雄が亡くなったのは、奇しくも関東大震災からちょうど3年の9月1日のことで、6歳の誕生日が目前に迫っていました。

最愛の息子を亡くした花子は百ヶ日以上ふさぎ込みますが、やがて「運命に従おう」と決意し、日本中の子供たちのために家庭小説を翻訳するという天職を見出すのです。

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