かよが働く「カフェードミンゴ」 銀座でブラジルコーヒーは「銀ブラ」の語源

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NHK連続テレビ小説「花子とアン」第12週。時代は1919年(大正8年)春に移り、物語の舞台に安東かよ(黒木華)の働き先「カフェードミンゴ」(@銀座)が登場しました。「ドミンゴ」は「日曜日」、あるいはキリシタン用語で「安息日」といった意味ですね。

かよはカフェードミンゴの女給に

製糸工場での過酷な労働から逃亡した次女・かよ。その後、東京で洋服の仕立て屋に奉公に出ていましたが、以前からカフェーで働きたいと思っていたこと、それに実家への仕送りのために稼がなければならなかったこと(カフェーの女給はチップがもらえる)もあり、「カフェードミンゴ」で働き始めていました。

この「cafeドミンゴ」は決していかがわしいお店ではなく、芸術家や紳士淑女が集う文化サロンのような場。当時(1919年・大正8年)の銀座ではこうした洒落たカフェーがたくさん出来ていたそうです。

「銀ブラ」の語源「銀座のカフェでブラジルコーヒー」

かよいわく、「カフェードミンゴ」の昼の一押し喫茶メニューは「ブラジルコーヒー」。

豆知識ですが、大正時代当時、銀座の「カフェーパウリスタ」という店で「ブラジルコーヒー」を飲むことを「銀ブラ」と言ったそうです(”銀座でブラジルコーヒー”の略。慶応大学の学生達が創った新語)。

現在でこそ「銀ブラ」という言葉は「銀座をブラブラ散歩する」というニュアンスで用いられますが、もともとの語源は「銀座のブラジルコーヒー」にあったのです。

(「カフェーパウリスタ」は当初は敷居が高い文士や文学青年達の社交場でしたが、やがて気軽な店として一般の人々にも浸透し、大正の最盛期には全国で20以上の支店があったそうです。言ってみれば現在のスターバックスコーヒーのようなもので、当時は「カフェーパウリスタ」によってコーヒーの味を知った日本人は多かったようです。)

カフェードミンゴの夜のメニュー

話を「花子とアン」の世界に戻します。

昼はブラジルコーヒーが人気の「カフェードミンゴ」ですが、夜の部では「カフェバー」のような使われ方をしているようです。はな(吉高由里子)の聡文堂・入社歓迎会が「カフェードミンゴ」で行なわれていましたが、夜のメニューは以下のような感じ。

ビール壱本 五拾銭(5銭)
ウヰスキー 拾五銭(15銭)
葡萄酒 拾五銭(15銭)

チーズ 拾銭(10銭)
コロッケ 拾五銭(15銭)
オムレツ 拾五銭(15銭)
ポークソテー 拾五銭(15銭)
キャベツロール 拾五銭(15銭)
メンチボール 拾五銭(15銭)

洋食と洋酒を楽しめる、当時としては先進的なお店と言えそうです。

「ごちそうさん」のカフェは「カフェードミンゴ」の3年後

ところで「大正時代のカフェー」といえば、前作「ごちそうさん」でも頻繁に登場していましたね。

1922年(大正11年)、高等女学校5年生の卯野め以子(杏)は友人の桜子(前田亜季)、民子(宮嶋麻衣)とともに入り浸っていた東京のカフェー(甘味処に近い?)でパフェを食べながらクリームのついたスプーンをブンブンと振り回していたところ、帝大生の西門悠太郎(東出昌大)の肩にクリームが飛んでしまいます。

のちに夫婦となる二人の、運命の出会いとなったこの場面。「花子とアン」第12週で登場した「カフェードミンゴ」のシーンが1919年(大正8年)でしたから、同じ東京でのわずか3年後のシーンということになります。

ちなみに、「焼氷の唄」などが登場した大阪の「喫茶・うま介」は昭和初期の時代設定です。

「花子とアン」と「ごちそうさん」は時代が重なるので、ふたつのドラマの世界観、時代の描き方を比べてみるのも楽しいですね。

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