実在の村岡父・平吉は震災前に亡くなっていた ドラマの平祐との最期の違い

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NHK連続テレビ小説「花子とアン」より。

第18週から第20週にかけて、村岡郁弥(町田啓太)と村岡歩(横山歩)が相次いで亡くなるなど、辛い内容が続いています。

郁弥、歩の死で落胆激しい村岡平祐

中でも、郁弥の死以来「村岡パパ」こと村岡平祐(中原丈雄)がすっかり落胆し、生きる気力を失っているのが気になるところです。

もともと村岡平祐は「村岡印刷」の創業者であり、印刷業界界隈では名の知られた凄腕の経営者でした。

息子の活躍、孫の成長が楽しみだった隠居生活

関東大震災発生直前に息子二人(英治・郁弥)に家業を譲り、隠居の身としてゆっくりと余生を過ごすつもりだったのでしょう。大森の英治・花子夫妻の元を訪ねては初孫となる歩を大層可愛がり、成長していく姿を見守っていました。

平祐が息子、孫の死に直面し、これだけ悲観的になってしまっているのを見ると、実在した平祐のモデル・村岡平吉もこんな風に落胆していたのかと思いを馳せてしまいます。

しかし、史実の「村岡平吉」の人生はドラマとは少々違うようです。

▼「アンのゆりかご」で描かれる史実と、ドラマ「花子とアン」の内容はだいぶ違う模様…。あくまでフィクションとしてドラマを楽しみましょう(笑)。

実在の平吉は震災前に亡くなっていた

「バイブルの村岡さん」としてキリスト教関係者や横浜の実業界で知られていた村岡平吉。

大正11年(1922年)、自身が裸一貫でつくり上げた「福音印刷」の経営を息子である三男・儆三(英治のモデル)と五男・斎(郁弥のモデル)に譲ると、それから間もなくして、平吉は静かに永遠の眠りにつきます。関東大震災が発生する前年のことで、享年は70。

村岡儆三・花子夫妻の長男・道雄(歩のモデル)は大正9年(1920年)に誕生しており、平吉は生前、可愛い孫の姿を見届けています。また、平吉は死の直前には生まれたばかりの斎の長男・創(はじめ)も抱いており、息子や孫たちに囲まれ、穏やかな最期を迎えたそうです。

息子や孫の死を知ることはなかった平吉

平吉の死後、ドラマでも描かれたような「悲劇」が村岡家を立て続けに襲います。三男・斎の震災死(大正12年・1923年)、そして道雄の疫痢による早世(大正15年・1926年)…。

つまり、大正11年に亡くなった実在の平吉は、斎の死も道雄の死も見ていないということになります。こうした事実を知ると、「ヘタに」長生きしてしまったドラマの村岡平祐が、結果的に悲しい事実を知る事になるわけで、何ともいたたまれない気持ちになります。

最新のドラマ「ネタバレ」によれば、「花子とアン」の平祐は昭和4年(1929年)に他界するようです。これは歩の死から3年後、郁弥の死からは6年後のことになります。

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