ラジオ(JOAK)「子供新聞」に出演する花子 歩との想い出を胸に【花子とアン】

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NHK連続テレビ小説「花子とアン」第21週(8月18日〜23日)放送より。村岡花子(吉高由里子)がラジオのレギュラー出演を依頼され、広く国民に知られるようになる新展開があります。

黒沢からラジオ出演依頼

長男・歩の死から6年が過ぎようとしていた昭和7年(1932年)の早春。

花子はかつて福岡で新聞記者をしていた黒沢一史(木村彰吾)から、ラジオ(JOAK=東京放送局←※NHK東京の前身)の子供向け新番組「子供新聞」内で「わかりやすくニュースを伝える」という仕事を依頼されます。現在、黒沢はJOAKでラジオ番組の制作に関わる仕事をしているようです。

「JOAK、JOAK…」上がり症で固辞も歩の想い出に触れ…

当時のラジオは国民的娯楽であった戦後のテレビのような存在であり、広く国民から愛されていました。ラジオにレギュラーで出演するということは、現代でいうところの「芸能人」のように広く注目を集める有名人になるということでもあります。

突然の出演依頼に驚く花子は、上がり症であるとの理由でこれを固辞します。著述を生業としている花子にとって、多勢の前で言葉を話す仕事など、想像もできない世界です。

しかし、見学しに行ったJOAKのラジオブースで聞き覚えのあるフレーズを耳にします。

「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局です…」

JOAKの看板アナウンサー・有馬次郎が口にした文言は、かつて歩が鉱石ラジオを聴きながらモノマネをしていたものだったのです。結局、一度は出演を固辞した花子でしたが英治や周囲の期待に押され、ラジオの仕事を引き受ける決意をします。

ガチガチに緊張しながら挑んだ初放送。無事に大役を遂げると花子は歩のことを思い出し、ただ涙するのでした。

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ラジオのおばさん

このラジオ出演のエピソードは、実話がもとになっています。村岡花子は1932年から1942年まで、子供向けラジオ番組「子供の時間」内のコーナー「子供の新聞」でキャスターを務めており、「ラジオのおばさん」として大人から子供まで広く知られた存在でした。

次の記事では、実在の村岡花子がラジオ「子供の時間」に抜擢された理由、花子の挨拶「ごきげんよう、さようなら」が流行語となった経緯、有名になり過ぎた故の騒動など、花子のラジオ出演に関わるエピソードをまとめます。

次の記事
「ラジオのおばさん」村岡花子の出演経緯 流行語「ごきげんよう、さようなら」

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