【花子とアン】村岡英治のモデル・敬三 関東大震災被害状況、死者まとめ

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大正から昭和にかけての東京が舞台となる「朝ドラ」で避けて通れない出来事が、関東大震災です。現在放映中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」にも、当然ながら関東大震災はやってきます。

「花子とアン」でも関東大震災が間もなく発生か

安東はな(吉高由里子)が作家を目指し再上京してきたのが大正8年(1919年)のこと。関東大震災の発生は大正12年(1923年)ですから、ドラマ上でも間もなくということになります。

この記事では「花子とアン」の原案である「アンのゆりかご」より、村岡儆三・花子夫妻(村岡英治と安東はなのモデル)の周囲の震災被害状況をまとめてみました。「花子とアン」も「アンのゆりかご」の展開に沿ったストーリーになると思われます。

幸せな結婚生活も束の間…

村岡儆三と花子は激しい恋を経て、大正8年10月に結婚します。二人の新居は東京市大森(現・大田区大森)。大正11年(1922年)5月に儆三の父・平吉が亡くなり、福音印刷(村岡印刷のモデル)は三男の儆三と五男の斎(ひとし)に継承されていました。

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地震発生時の居場所は

関東大震災の発生時、花子は大森の自宅に3歳の長男・道雄と一緒に居ました。儆三は東京本社のある銀座に、斎は職工たちとともに横浜の工場に居たようです。

大森に居た花子、道雄、それに銀座の儆三は無事でした。儆三は銀座からひたすら歩き続け、夜九時すぎに大森の自宅に辿り着きます。その頃には銀座方面は焼き尽くされていたとか。儆三ら家族三人は家屋倒壊の危険があったため、家の隣りの畑で野宿し、ようやく三日目の朝に家に入りました。

儆三は歩いて横浜の福音印刷へ

震災発生三日目の朝、儆三は歩いて横浜・山下町の福音印刷に向かいます。情報が寸断された状況では、自分の足で安否の確認に行くしか方法が無かったのです。

儆三が横浜に辿り着くと、生まれ育った横浜の街は一面廃墟と化していました。関東大震災というと東京・隅田川付近の大火災が有名ですが、何しろ震源は相模湾ですから、横浜の街へのダメージは甚大だったのです。

弟・斎、息子・嘉男、妹・雪子、職工70名…失った人々

横浜の福音印刷工場は倒壊し、職工70人余りが下敷きとなり亡くなりました。会社を一緒に支えていくはずだった弟・斎も時計の鎖が見つかっただけ。二度と生きて帰ることはありませんでした。斎は、妻・巴(ともえ)との間に長男・創(はじめ)が生まれたばかりでした。

また、儆三と前妻・幸との間に生まれた長男・嘉男、それに儆三の妹・雪子も震災で亡くなってしまいます。

裏切り、契約破棄…経営が苦手だった儆三

悪いことは続きます。父の代からの役員が会社再興のための印鑑や重要書類を持ち逃げされてしまいます。さらに、それまで交わしていた福音印刷と米国、英国聖書協会等との印刷に関する契約も破棄され、なかったものとされてしまいます。

弟・斎が父譲りの実業家肌だったのに対し、学者肌と言われた儆三は震災の混乱に乗じて簡単に足元をすくわれてしまったのです。結局これ以降、福音印刷の看板が蘇ることは二度とありませんでした。

絶望の中から再び這い上がるキッカケとなったのは、儆三と花子が二人三脚で立ち上げた出版社兼印刷所「青蘭社書房」。打ち拉(ひし)がれた儆三を、妻の花子が支えていくことになります。

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