「花子とアン」はフィクション?史実とドラマの相違点、違いまとめ

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9月に入り、NHK連続テレビ小説「花子とアン」もいよいよ大詰めを迎えています。

ここまで物語を見てきて少々気になるのが、史実とドラマとの相違点。「花子とアン」はあくまで実在の翻訳家・村岡花子の人生をモデルとした架空のストーリーであり、設定や登場人物等にもフィクションの部分がたくさんあります。

この記事では「花子とアン」のストーリー上、史実と異なっている部分をピックアップしてみました。

なお記事では便宜上、実在の人物「村岡花子」は「村岡花子」、ドラマの「村岡花子」は「安東はな」と表記します。

▼孫である村岡恵理が執筆した「アンのゆりかご」(「花子とアン」の原案)。村岡花子の実像に迫るには、こちらの本を読むのが良いでしょう。

・花子の出身地

「安東はな」は10歳で東京の「修和女学校」に進学するまで、甲府で生まれ育っています。これに対し「村岡花子」は山梨県・甲府の生まれであるものの、5歳の時に一家で東京・品川へと移住しています。

・父の職業

「安東はな」の父・吉平は全国をブラブラと渡り歩く「行商人」。一方、「村岡花子」の父・逸平は甲府での親族のしがらみを嫌い、一家で東京・品川へと上京。そこで葉茶屋を営んでいました。とても貧しい家庭だったことは共通しています。

・兄弟姉妹

「安東はな」は兄・吉太郎、妹・かよ、ももの4人兄弟の二番目。「村岡花子」は8人兄弟の一番上で、下に千代、庄三郎、健次郎、梅子、磯夫、雪、邦久の四男三女がいました。

・吉太郎、かよ、もも

「安東はな」の兄弟・吉太郎、かよに関しては多少実在の兄弟を参考にしているかも知れませんが、基本的には架空の人物と思われます。末妹のももは三女の梅子がモデルとなっており、ももの夫・益田旭も坂田巌という実在の画家の卵がモデルです。

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・卒業後の就職先

女学校卒業後、「安東はな」は地元・甲府の「阿母尋常小学校」の代用教員になります。

「村岡花子」は甲府の「山梨英和女学校」で英語教師として採用されています。山梨英和で花子は、自分と背格好が変わらない「本科5年生」を担当しています。教師経験の後、26歳前後で上京し、編集者になる流れは同じです。

・夫との出会い、結婚までの期間

「安東はな」は学生時代のアルバイト先「向学館」で後に夫となる村岡英治と出会っています。二人が恋に落ち、結婚に至るのはそれから数年先になります。

一方、「村岡花子」は教師を辞めて26歳で再上京、勤め始めた出版社「基督教興文協会」で村岡儆三(むらおかけいぞう)と出会っています。二人はすぐに恋に落ち、出会って半年で結婚しています。

・村岡氏前妻

村岡氏の前妻はともに結核を患っていました。ドラマでは前妻・香澄が亡くなった後に英治・はなが結婚したのに対し、史実では(恐らく)妻・幸が亡くなる前に儆三・花子は入籍をしているようです。

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・村岡氏前妻との子

ドラマでは村岡英治と前妻・香澄との間に子供はいませんでした。史実の村岡儆三と前妻・幸の間には長男・嘉男が居ました。嘉男は関東大震災により亡くなっています(養子に出されていた)。

・村岡氏弟の死

ドラマでは村岡英治の弟・郁弥はかよにプロポーズした直後、銀座のカフェーで関東大震災に巻き込まれて亡くなっています。史実では村岡儆三の弟・斎(いつき)は横浜の福音印刷が倒壊、巻き込まれて亡くなっています。

また、郁弥はかよにプロポーズをしたものの独身のまま亡くなりましたが、斎は西村巴(ともえ)という令嬢と結婚をし、震災前に長男も誕生しています。

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・村岡氏父の死

ドラマでは村岡英治の父・平祐は関東大震災を生き延び、息子・郁弥の死を嘆き、やがて亡くなりました。史実では村岡儆三の父・平吉は関東大震災直前に、息子たち家族に囲まれながら穏やかに息を引き取っています。三男・斎の死を知らずに眠りについたことになります。

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・「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」を手渡した人

ドラマでは学生時代の恩師であり友人でもあるスコット先生が、安東はなに「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」を託しています。
一方、史実の村岡花子はミス・ショーというカナダ人婦人宣教師(学生時代の恩師ではない)から「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」を受け取っています。ミス・ショーは数年来、花子と編集などの仕事をしており、その中で友情が芽生えています。

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・養女の経緯

「花子とアン」では末妹・ももの長女・美里が「安東はな」の元へ養女として迎え入れられます。これはももの夫・益田旭の遠地結核療養により、村岡夫妻が幼少期から美里を育てたことから、ももの願いもあり、そのまま村岡家に養女として迎え入れられたものです。

一方、美里のモデルである村岡夫妻の養女・みどりは、花子からのたっての願いで村岡家に養女として迎え入れられています。

大森の村岡家敷地内には4軒の借家が建てられ、坂田巌・梅子家族の他、村岡儆三の弟家族もそこに暮らし、賑やかだったようです。

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