【いだてん】金栗四三が世界新記録で予選会優勝 当時のマラソン世界記録のタイムは?

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NHK大河ドラマ「いだてん」第5回では、マラソンのオリンピック予選会に出場した金栗四三が「世界新記録」を叩き出す姿が描かれます。

この記事では、当時の世界記録と四三のタイムとの比較などをまとめます。

25マイル(40km)の「マラソン予選会」

1911年(明治44年)11月9日に羽田運動場で行われた日本初のオリンピック予選会・マラソン部門には、12人(17人とも)の学生ランナーが参加したとされます。

嘉納治五郎が初代会長を務めた大日本体育協会(現在の公益財団法人・日本体育協会)の働きかけにより、北海道小樽水産の佐々木政清、慶應の井手伊吉、東京高等師範の金栗四三、橋本三郎、野口源三郎、ほかに静岡師範、早稲田の学生ら有力ランナーが集結。

羽田競技場から六郷土手(多摩川)に出て、東海道を川崎、鶴見、生麦、新子安と走り、東神奈川で折り返して再び羽田競技場へ戻るという25マイル(=約40.23km)のコースでレースは行われました。

レースは小雨の降りしきる悪コンディションの中で進み、ゴール手前で金栗四三(東京高師)が佐々木政清(北海道小樽水産)を抜き去りゴールイン。当時の「世界記録」を大幅に更新する2時間32分30秒という驚異的なタイムで金栗四三が優勝を果たしています。※3位の井手伊吉までが「世界記録」を更新。

オリンピック予選会・上位タイム

1位 金栗四三(東京高師)…2時間32分30秒
2位 佐々木政清(北海道小樽水産)…2時間36分0秒
3位 井手伊吉(慶應義塾)…2時間48分0秒

参考:2019年1月現在のマラソン世界記録は、エリウド・キプチョゲ(ケニア)の2時間01分39秒(2018年)。

比較対象の「世界記録」はテアトの2時間59分45秒

実は、当時のマラソンの「世界記録」は少々扱いが難しいものとなっています。というのも、現在のようにマラソンの距離が42.195kmにビシッと定まったのは1924年の第8回オリンピック・パリ大会以降のことだからです。

(参考。初期オリンピックにおけるマラソンの距離:第1回=40km、第2回=40.26km、第3回=40km、第4回=42.195km、第5回=40.2km、第7回=42.75km)

1911年に羽田で四三が叩き出した世界記録・2時間32分30秒の比較対象となったのは、同距離で行われた1900年の第2回オリンピック・パリ大会優勝者ミシェル・テアト(フランス)の記録・2時間59分45秒とされるのが一般的です。四三はテアトのタイムを約27分縮めた計算になります。

※一部書物では1908年の第4回ロンドン大会優勝者ジョン・ヘイズ(アメリカ)の記録・2時間55分18秒との比較で、約23分短縮したと言及しているものもあります。

コースの距離が怪しい…?

四三の叩き出した衝撃のタイムに、世間は沸き立ちます。

予選会当日の夕方には「金栗選手、世界記録を破る」という号外が出るなどメディアも大きく取り上げますが、同時に、この大幅な記録更新に対して「コースが短かったのでは?」といった疑問の声もあがりました。

コースの距離測量を担当した工学博士・中沢臨川(天狗倶楽部にも所属)によれば、実地測量をしては大変なので、参謀本部の二万分の1の地図を用いて一町ずつ測量をしたから間違いないとのこと。

つまり実測はしておらず、なんともグレーなコース設定ということになるわけですが…。このあたりの経緯は「いだてん」でも描かれていくものと思われます。

なお、前述の1900年(第2回大会)のミシェル・テアトの記録に対しても「コースをショートカットしてズルしたのでは?」といった指摘があがっており、競技黎明期ならではの運営の「ユルさ」が感じられます。

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