【いだてん】ストックホルムへの旅のルート 敦賀、ウラジオ、シベリア鉄道

スポンサードリンク

NHK大河ドラマ「いだてん」より。

オリンピック・ストックホルム大会へと向かう金栗四三、三島弥彦ら日本選手団の、現地までの旅のルートをまとめます。

新橋駅から出発 17日間の旅

明治45年(1912年)5月16日。金栗四三、三島弥彦、大森兵蔵監督、安仁子夫人ら日本選手団は、新橋駅に押し寄せた群衆の「万歳三唱」を受けて鉄道で出発。スウェーデン・ストックホルムへの長い旅路をスタートさせています。

現在でこそ空路で12時間から19時間程度(成田〜ストックホルム。直行便はない)で到着するストックホルムですが、明治45年当時は鉄道と船を幾度も乗り継がなければたどり着けない、遠い遠い場所でした。

日本選手団一行は実に17日間をかけてストックホルムへと到着。長旅による疲れ、なれない白夜や異国の食事への戸惑いもあり、とても万全とはいえない状態で競技本番を迎えることになりました。

以下、日本選手団が辿った旅のルートをまとめます。

▼一行はロシアの超長距離列車「シベリア鉄道」を利用。その長い旅路は今も旅人の憧れであり、水野晴郎御大は迷作「シベリア超特急」を生み出しています。

新橋〜敦賀(鉄道)

明治45年5月16日、「万歳三唱」に見送られて新橋駅を出発した一行は、鉄道に揺られて翌日に福井・敦賀に到着しています。

この二年前の明治43年(1910年)には日本からロシアの東清鉄道への「連絡運輸」が始まっています。新橋から東海道本線・北陸本線で敦賀(金ヶ崎駅。現在の敦賀港駅)へと鉄道で向かい、そこからウラジオストク行きの船へと接続するルートが確立していました。

敦賀〜ウラジオストク(船)

一行は敦賀の港から船に乗り、(2日かけて?)ロシア帝国(当時)の極東の港町・ウラジオストクに到着しています。

この敦賀~ウラジオストク航路は明治35年(1902年)に開設されています。

ウラジオストク〜モスクワ(シベリア鉄道)

ウラジオストクからは、現在も世界最長の鉄道として知られる「シベリア鉄道」に乗車。10日あまりの時間をかけて約9,300km先のモスクワへと向かっています。

金栗と三島は二等室に外国人二人とともに乗り込み、ろくに身体も動かせず不自由な時間を過ごしています。

なお、現在のシベリア鉄道はモスクワ〜ウラジオストク間(9,259km)を所要6日と3時間で結んでいます(ロシア号。隔日運行)。

2015年まで走っていた日本最長距離列車、寝台特急「トワイライトエクスプレス(大阪〜札幌)」の運行距離が1,508.5 km、所要時間が約22時間50分でしたから、やはり大陸はスケールが違います。

サンクトペテルブルク〜ストックホルム(船)

一行はモスクワで幾日か滞在した後に、当時のロシア帝国の首都・サンクトペテルブルクに移動しています(モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道を利用か?)。

サンクトペテルブルクの港からは再び船に乗り、バルト海に出て、ようやく目的地・ストックホルムの港に到着しています。

ストックホルムに到着したのは6月2日。5月16日に新橋駅を出発してから17日目のことでした。この当時すでに肺病を患っていた大森兵蔵にとっても、長く厳しい旅路となったようです。

▼サンクトペテルブルクとストックホルムの位置関係。ヘルシンキ、タリンを横目にフィンランド湾、バルト海へと抜けてまっすぐ進めば、いよいよオリンピックの地・ストックホルムが見えます。

スポンサードリンク

スポンサードリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサードリンク


PAGE TOP ↑