官兵衛・光 待望の第二子は男児・熊之助 その後辿る人生とは

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NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第25回放送より。黒田官兵衛(岡田准一)の妻・光(てる=中谷美紀)が待望の第二子を身ごもったことが判明します。

官兵衛の正室である光との間に長男・松寿丸(のちの黒田長政=松坂桃李)が生まれてから14年。光はなかなか子宝に恵まれず、実の姉・力(りき=酒井若菜)にチクリチクリと小言を言われるなど、少々肩身の狭い思いをしてきました。

官兵衛が側室を持たない主義を貫いている事からも、松寿丸が織田信長(江口洋介)に人質に取られて以来、常に黒田家は跡取りが居なくなる危険性に晒されてきました。

第25回放送では、その光が待望の第二子を身ごもります。

第二子は男児・熊之助 長政とは15歳差

史実によればこの第二子は男児であり、名を「熊之助(くまのすけ)」といいます。

1582年(天正10年)、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦時に山崎城で誕生した熊之助は大切に育てられ、順調に成長します。長男・長政とは15歳差の兄弟でした。

以下、黒田熊之助の人生に関する「ネタバレ」となりますのでご注意下さい。

次男・黒田熊之助のその後の人生

熊之助は大切に育てられ、順調に育ちます。しかし、残念ながら16歳という若さでその生涯を閉じる事となります。

1597年(慶長2年)、熊之助は当時朝鮮出兵(慶長の役)に参加していた父・官兵衛、兄・長政を見舞うため(※)に豊後・中津城から船で朝鮮半島へと向かいます。この航行には母里太兵衛の嫡男・母里吉太夫や、黒田一成(←有岡城の牢番・加藤又左衛門の息子・玉松)の弟・黒田吉松らが従っていたと言われます。

この道中の玄界灘で暴風に見舞われ、船は沈没してしまいます。熊之助はわずか16歳にして命を落としてしまうのです。母・光はこの知らせを大阪の天満屋敷で聞いたそうで、その悲しみはさぞや大きいものだったことでしょう。

※熊之助は朝鮮出兵の当時、中津城(豊後国=現在の大分県中津市)の留守を任されていました。しかし、父や兄に加勢して功を挙げたいがため、密かに若い家臣を引き連れて朝鮮半島に向かったとも言われています。

※「軍師官兵衛」第44話では、朝鮮出兵で初陣を飾りたいと願い出た熊之助を官兵衛、長政が諌める場面が描かれます。しかし、熊之助はこの言いつけを破り、若手家臣を引き連れて勝手に朝鮮へと船を出してしまいます。

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