赤玉ポートワイン広告の衝撃 マッサン「太陽ワイン」のモデル商品

※本ページのリンクには広告が含まれています。

NHK連続テレビ小説「マッサン」第4週(10月20日~25日)放送分では、鴨居商店の看板商品だった「太陽ワイン」が風評被害により販売中止の危機に立たされ、起死回生の広告を打って出る様子が描かれます。

これは実際に鴨居商店のモデル・寿屋(現在のサントリー)が大正期に打ち出した日本初の「ヌード広告」(といってもそこまで過激ではない)のエピソードが元になっています。

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赤玉ポートワインの広告

日本広告史に残るポスターが世に出されたのは、大正12年(1923年)のこと。甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」(「マッサン」では「太陽ワイン」として登場)を宣伝するためのものでした。この赤玉ポートワイン。当時としては値段が少々お高かったので、派手な広告戦略を必要としたのです。

寿屋創業者・鳥井信治郎の口癖「やってみなはれ」の言葉通り、寿屋は「赤玉ポートワイン」発売以来「赤玉楽劇座」という歌劇団を結成し(街頭で法被を着て練り歩いたり、芸者にかんざしを配ったりしていた)、人々を楽しませる目新しい宣伝活動を行っていました。

赤玉楽劇座プリマドンナ・松島栄美子

そんな「赤玉ポートワイン」を一躍有名にしたのが、赤玉楽劇座のマドンナであった女優・松島栄美子を起用した広告。当時の宣伝部長・片岡敏郎によって手がけられたこの広告は、「美味 滋養 葡萄酒」というコピーとともに、肩を露出した女性がワイングラスを手に微笑んでいます。

※松島栄美子による赤玉ポートワインの広告画像はこちらから。Wikipediaの画像ページに飛びます。

宣伝部がサントリーの企業風土を形成していく

この斬新なポスターは大きな評判を呼び、「赤玉ポートワイン」は売り上げを伸ばします。「赤玉ポートワイン」は、寿屋がその後ウイスキー事業へとチャレンジするための土台をつくる、看板商品となっていくのです。

新しい物事へのチャレンジ精神、社風はその後のサントリーにも受け継がれていきます。戦後には開高健らを中心とした宣伝部が大活躍。再び寿屋宣伝部に黄金期が来るとともに、こんにちまで続く「生活文化企業」サントリーの形を決定付けていきます。

サントリー、寿屋の宣伝広告について、詳しくは「開高健、山口瞳…寿屋、サントリー宣伝部に集結した才能とその歴史」の記事にまとめました。

余談ですが、ドラマ「マッサン」では広告デザイナー担当として規子(田実陽子)という女性が会議に登場していましたが、実際の寿屋の「ヌード広告」は井上木它(いのうえぼくだ)というデザイナーを中心にして制作が行なわれました。

この井上木它は後に、日本産ウイスキーらしさを見事に表現した亀甲紋の「角瓶」をデザインした人物として知られます。

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