「マッサン」頭の良い日本の青年が、ウイスキー技術を盗んでいった…ヒュームの言葉

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NHK連続テレビ小説「マッサン」第1話は、昭和46年(1971年)のこんなシーンから始まります。

亀山政春(玉山鉄二)とエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)が人生を賭けて作り上げた会社・ドウカ(※北海道果汁株式会社)。そのドウカのウイスキー「スーパーエリー」が、名誉ある賞を受賞しました。

その祝いの席で、主賓であるジョーンズ駐日大使が祝辞を述べます。

「50年前、ひとりの頭の良い日本青年がスコットランドにやってきて
一本の万年筆とノートで ウイスキー造りの秘密と
一人の美しい女性を奪って行きました。
けしからん大泥棒です(笑)」

大使のウィットに富んだスピーチに、会場からは笑いが起きます。

マッサンこと亀山政春はそれを聞いて、既に亡くなっている愛妻・エリーの遺影を眺め、遠い日のことを思い出します。記憶の中で時代は遡り、二人の人生の物語が始まります。

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元ネタはヒューム英副首相が竹鶴に送った賛辞

この「ジョーンズ駐日大使の祝辞」には、元ネタがあります。「マッサン」のモデルであるニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝に送られたこんな言葉です。

「50年前、ひとりの頭の良い日本青年がやってきて、一本の万年筆とノートで英国のドル箱であるウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」

これは昭和37年(1962年)、来日したイギリス副首相(外務大臣という説もあり)・ヒュームが語ったものです。もちろん「頭の良い日本青年」とは、かつて単身スコットランドにやってきた竹鶴政孝のことです。

世界五大ウイスキー「ジャパニーズ・ウイスキー」

英国発祥のウイスキーの製造技術は当時、「国家機密」とも言える重要なものでした。

異国からやってきた勤勉な青年により、英国自慢の技術が持ち去られ、遠い極東の地・日本で素晴らしい品質を誇るウイスキーを創り上げてしまった…。ユーモアを交えたヒュームの言葉は、竹鶴の仕事に対する最大限の賛辞だったのです。

竹鶴が中心になって創り上げた「ジャパニーズ・ウイスキー」は、今や世界五大ウイスキーのひとつに数えられています。

スコッチの製法を色濃く受け継ぐ「ジャパニーズ・ウイスキー」は、本家・英国を脅かすほどの高い品質を誇ります。

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