【マッサン】国産第一号「鴨居ウヰスキー」完成!寿屋「白札サントリー」がモデル

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NHK連続テレビ小説「マッサン」の劇中に登場する国産第1号ウイスキー「鴨居ウヰスキー」についてまとめます。

この「鴨居ウヰスキー」は、後にサントリーとして大企業になる寿屋が生み出した「白札サントリー」がモデルとなっています。

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ウイスキーはいつになったらつくるの?

マッサンが無職時代に突入し、なかなかウイスキーづくりが始まらない!とヤキモキする声が聞かれるようですが、年内放送中(第12週、13週=12月15日〜27日)には国産第一号となるウイスキーが出来上がるようです。

山崎工場完成から4年 国産初のウイスキー

鴨居商店から国産初となる「鴨居ウヰスキー」が発売されるのは、山崎工場が完成してから4年後の昭和4年(1929年)のこと。この頃になると、飛ぶ鳥を落とす勢いだった鴨居商店の経営にも翳りが見え、赤字続きの状態となっていました。

工場建設に二百万という莫大な金額をつぎ込んでいるウイスキー事業は、社内でも風当たりが強い部門。大将・鴨居欣次郎(堤真一)も当初から、工場稼働4年を目処にウイスキーの販売開始を想定しており、ウイスキー事業の早期事業化、黒字化が待望されていたのです。

マッサンは原酒の熟成には10年の月日が必要だと考え、性急な商品化に異議を唱えますが、さすがに会社の方針には逆らえません。間近に迫った発売日までに、マッサンはウイスキーのブレンドの完成を急ぐことになります。

そして試行錯誤の末、マッサンは発売一ヶ月の時期にようやく納得がいくウイスキーの味をつくり出し、晴れて日本初の国産ウイスキーは発売されることになります。

国産初のウイスキー寿屋「白札サントリー」

▼開高健、山口瞳も所属した寿屋宣伝部。創業者・鳥井信治郎の「やってみなはれ」精神が根付くサントリーの「幻の社史」。

この鴨居商店の第一号ウイスキーは、昭和4年(1929年)に寿屋(現在のサントリー。竹鶴政孝がウイスキー製造責任者)が発売した国産第一号ウイスキー「白札サントリー」がモデルになっています。

当時の寿屋がぶち上げた「白札サントリー」の新聞広告は「醒めよ人!舶来盲信の時代は去れり 酔はずや人 吾(われ)に国産 至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」と高々と謳い上げ、発売に合わせて山崎蒸溜所の見学案内も刷られました。寿屋お得意の広告宣伝材料を揃え、万全の体制で発売されたのです。

焦げ臭さが嫌われ、売れず

しかし、「白札サントリー」は生産側の思惑通りには売れませんでした。試しに飲んでもらうと、人々は一様に「焦げ臭い」と口をゆがめ、この新しい洋酒を拒否したのです。

日本酒ばかり飲んでいた当時の日本人の舌には、竹鶴政孝(マッサン)がこだわったウイスキー特有のスモークト・フレーバー(薫香)が、異臭としか感じられなかったのです。

鴨居欣次郎への反感

ドラマ「マッサン」でも、煙臭さと値段の高さが嫌われ「鴨居ウヰスキー」は全く売れません。その売り上げは目標額の一割程度と、社の経営を揺るがすものでした。

これを受けて、すぐに不評だった煙臭さを消すよう現場に厳命する鴨居欣次郎と、スモークト・フレーバーこそがウイスキーの命だと信じる工場長・マッサンは激突。兼ねてからの鴨居の独裁ぶりもあり、ついには職人連中も鴨居に反旗を翻し、貯蔵庫に立てこもってしまい…。

と、ここまでが2014年分の放送。2015年・年明けの「マッサン」は、内部崩壊寸前である鴨居商店の御家騒動から再開します。

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