歴史秘話ヒストリア「天皇の料理番」その2 宮中料理人の仕事とは?

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この記事は 歴史秘話ヒストリア「天皇の料理番」その1 天皇と無言の会話を続けた料理人の物語 からの続きです。

26歳で宮中料理長となった秋山徳蔵。大正天皇即位式の晩餐会開催までの一年間、秋山は和食専門だった宮中の料理人たちに西洋料理の基礎を叩き込みながら、同時に献立に頭を悩ませます。当時の即位式の記録「大禮(礼)記録」には、晩餐会で供されたメニューが残されています。それによれば、

「北海道ザリガニのポタージュ」「鳥の袋蒸し羊肉とシャンピニオンを詰めた鶏、トリュフ添え」「オレンジとワインのシャーベット」「七面鳥のあぶり焼き、ウズラの付け合せ」「セロリの煮込み」「富士山のアイス」など、秋山が本場で学んだであろう本格的な西洋料理の中に、日本らしさを随所に散りばめたメニューが出されたようです。

中でも「ザリガニのポタージュ」は当時、日本に食用に適したザリガニがおらず、北海道の原生林で捕まえたものを船と汽車で二ヶ月かけて京都に運んだという勝負メニュー。失敗は許されないが、敢えて冒険的なメニューを出すことで感動を生み出そうという、秋山の心意気の表れでした。

料理は「外交」

晩餐会は大成功。それもあってか五年後、日本は国連の常任理事国入りし、世界から一流の国家として認められることになります。当時の欧州では「料理外交」は大変重視されていたようなので、秋山ら宮中料理人の貢献はわれわれの想像を大きく超えるものがあったのでしょう。

終戦後、天皇制存亡の危機の際にも、秋山はGHQ幹部にプレゼントや料理の接待攻勢をかけます。これが功を奏したのか、マッカーサーは天皇に「戦争責任を追求できる証拠は無い」とアメリカに報告。現在に至るわけです。

「天皇の料理番」その仕事

さて、戦後も秋山は宮中料理人として腕を振るい続けます。天皇は、朝は決まってパンとオートミール、野菜に季節の果物といった洋食。秋山は日々、下がってきたお膳を調べ、天皇の体調や好みを確認。長年にわたり料理を通して、天皇との間に無言の会話を続けます。

昭和天皇が40歳を超えて和食を好むようになると、秋山も独学で天ぷら、寿司などの和食を研究し、慣例を破り天皇の目の前で天ぷらを揚げたこともあったとか。

昭和47年、84歳で引退を決意した際には、別れの挨拶のために拝謁。初めて料理を介さずに天皇と会話をし、「長いあいだ ご苦労だったね これからも体に気をつけるように」と声を掛けられます。 秋山は一人になった後、男泣きをしたといいます。

普段わたしたちが知ることの出来ない宮中の生活。それを支えているのは秋山徳蔵のような無名の職人であり、時にはその仕事が国家を支えることにもなります。今回の放送は、歴史の裏舞台に居た人物にスポットを当てた「歴史秘話ヒストリア」らしい充実の内容でした。

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