【真田丸】上杉景勝(遠藤憲一) 豊臣に仕え、家康と対立する「ピュアな男」

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NHK大河ドラマ「真田丸」において遠藤憲一が演じている武将・上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)についてまとめます。「真田丸」では景勝の "二代目" としての苦悩や義理堅さ、信繁との関係性などが描かれていきます。

「真田丸」の脚本を担当している三谷幸喜によれば、物語の裏テーマは「二代目」とのこと。武田信玄を継いで武田家を滅亡に至らせた勝頼(平岳大)、「表裏比興なる者」真田昌幸を父に持つ信之(大泉洋)、信繁(堺雅人)など、偉大な父を持ったがゆえにその影に悩まされる姿が描かれます。

上杉景勝もまた(謙信の実子ではないものの)、「偉大なる父」の存在を背負って生きていくことになります。

謙信の甥っ子から上杉家後継者に

上杉景勝は、弘治元年(1555年)に上田長尾家当主・長尾政景の次男として越後国で生まれています。母は上杉謙信の実の姉・仙桃院で、謙信にとって景勝は甥っ子にあたります。

父・政景が亡くなると春日山城(現在の新潟県上越市)に入り謙信の養子となり、謙信死後はもう一人の養子・上杉景虎との争いを制し、謙信の後継者となります。

豊臣政権の中枢に 家康とは対立

景勝は、織田家滅亡後に台頭する羽柴秀吉と近付き、やがて秀吉に臣従し五大老に任命されるなど、豊臣政権の中枢を支える存在になっていきます。秀吉の命により会津120万石に加増移封されると、東北諸大名や家康に対する監視、牽制役を担うことになります。

こうした経緯や、側近・直江兼続が石田三成と懇意だったことなどもあり、秀吉の死後、景勝は徳川家康との対立を深めていくことになります。これが家康の「会津征伐(上杉征伐)」へとつながっていくのです。

会津征伐→関ヶ原開戦へ

この会津征伐のために家康は江戸方面に下ることになりますが、家康が畿内を留守にしたことを好機と捉えた石田三成が挙兵したことで、いよいよ関ヶ原の戦いの幕が開くことになります。

この時、上杉景勝は「西軍」に加勢しており、「東軍」に与した伊達政宗や最上義光らと東北の地で戦っています(「東の関ヶ原」ともいわれる慶長出羽合戦。現在の山形県で行なわれた)。しかし、関ヶ原本戦で三成ら西軍が敗れたため、景勝は家康に降伏することになります。

戦後、景勝は家康に謝罪し、何とか上杉家の存続は許されます。しかし、父・謙信の代に北信越一帯を収める大大名だった上杉家は、わずか一代にして出羽半国にとどまる小大名に没落してしまうのです。

義に徹するも実力は…

「真田丸」で遠藤憲一が演じる上杉景勝は、義に徹した父・謙信を理想とし、無駄な戦を仕掛けない(ピュアな)信念を持っています。しかし、残念ながら景勝には謙信のような知恵も力もありません。

周囲を列強がひしめく中、幾度となく真田昌幸(草刈正雄)を頼っては裏切られる景勝ですが、人質として真田から預かった信繁の純粋さ、聡明さに惹かれていきます。

気高い理想を抱きながら力量不足で思うように生きられない景勝と、ピュアな心を持ちつつ実力も兼ね備えている信繁。

対照的な二人は、やがて「大阪の陣」で敵同士として再会することになります。物語終盤で、遠藤憲一の見せ場がやってきそうです。

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