【とと姉ちゃん】大橋鎭子は日本女子大学に通っていた

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のヒロイン・小橋常子のモデルとなっている「暮しの手帖」創業者・大橋鎭子は一時期、広岡浅子が創立に貢献した「日本女子大学」に通っていました。

この記事では、大橋鎭子が「日本女子大学」に入学、退学した時期と経緯、当時の学生生活の様子などをまとめます。

広岡浅子が設立に貢献「日本女子大学」

前朝ドラ「あさが来た」のヒロイン・あさ(波瑠)のモデルである女性実業家・広岡浅子は、「日本女子大学校」(現在の日本女子大学。ドラマでは日の出女子大学校として登場)の設立に大きく貢献したことで知られます。日本で初めての大学校だった日本女子大学校は、開校以来学びたい女性たちの憧れの場となり、数多くの著名人を輩出してきました。

「とと姉ちゃん」ヒロインのモデルとなっている大橋鎭子も、一時期ではありますが日本女子大学に入学し、学生生活を送っています。

就職後、日本女子大に入学

鎭子は昭和12年(1937年)春に東京府立第六高等女学校(現在の都立三田高校)を卒業すると、苦しい家計を助けるために日本興業銀行に就職し、「調査課」に配属されています。

この「調査課」で調査月報や資料づくりなど、後の「暮しの手帖」につながるような仕事に従事した鎭子は、その生活の中で次第に「もっと勉強をしなければ」と考えるようになります。

鎭子は「思い切って」日本女子大学を受験すると、三年勤めた興銀を退職。昭和15年(1935年)に日本女子大学・家政科二類に入学しています。

※日本女子大学校の設立は明治34年(1901年)ですので、鎭子が入学したのは創立から約40年後ということになります。なお、鎭子は広岡浅子から70年ほど遅れて生まれています。

体調を崩し退学 花森安治との出会いへ

入学後、鎭子は放課後に学友の寮舎に遊びに行ったりするなど楽しい学生生活を送っていたようです。しかし夏頃に咳に血が混じるようになり、夏休み中は岐阜の祖母の家で療養に専念したものの回復せず、結局その年の11月には女子大に通うことを断念しています。

鎭子はわずか半年余りで女子大学生活が終わったことを「残念だった」と自著で記していますが、結果的に翌春(昭和16年)から勤め始めた「日本読書新聞社」において、後に生涯の仕事のパートナーとなる花森安治に出会っています。このあたりは「運命のイタズラ」といったところでしょう。

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