【わろてんか】南地風鳥亭が取り壊し 吉本・南地花月の「建物疎開」が元ネタ

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」第25週放送分より。

太平洋戦争が激化すると、北村笑店の本拠地である寄席「南地風鳥亭」の取り壊しが決まります。この記事では、南地風鳥亭が取り壊される経緯と、南地風鳥亭のモデルである「南地花月」が取り壊された理由、「建物疎開」についてまとめます。

本拠地・南地風鳥亭が取り壊しに

天満の地で寄席経営をスタートさせた北村笑店は、やがて大阪一の繁華街・千日前に南地風鳥亭をオープンさせ、以来、この南地風鳥亭に事務所を置き、グループの本拠地としています。

第25週になると、時代はいよいよ太平洋戦争に突入。北村笑店は人手不足の中、苦しい経営の日々が続きます。

そんな中、てんの元に国からの衝撃的な通達が届きます。空襲による延焼を防ぐために実施される「建物疎開」の適用範囲に南地風鳥亭が引っかかり、建物を取り壊さなくてはならなくなるのです。

てんは何とかこの取り決めを覆そうと奔走しますが、やがて抗えない決定事項であることを悟り、取り壊しを受け入れることになります。

モデル・南地花月も建物疎開の憂き目に

南地風鳥亭のモデルとなった寄席「南地花月」(法善寺裏。吉本興業の中心的寄席だった)も、昭和19年に当局から休業を命ぜられると、その後に「建物疎開」の対象地となり、取り壊しの憂き目にあっています。

この「建物疎開」は「家屋疎開」とも呼ばれ、東京や大阪、京都といった大都市の住宅密集地をはじめ、日本各地の小都市でも実施されました。行政主導で、空襲により火災が発生した際に周囲に延焼しないよう防火地帯(空地、緑地)を設けるというもので、対象区域に指定された建物はほぼ強制的に撤去を命ぜられました。

多くの市民が犠牲を払って執り行われた建物疎開ですが、実際に降ってきた焼夷弾は凄まじい数量であったため、防火帯の有る無しに関わらず街一面が焼け野原となってしまったようです。

戦争で壊滅した吉本興業の寄席

戦前に隆盛を極めた吉本興業でしたが、大阪大空襲により大阪の街が壊滅すると、吉本興業の寄席の大半も焼失しています。戦争により文字通り「リセット」されてしまった吉本興業は、焼け野原から再び、ゼロからのスタートをすることになるのです。

▼南地花月(旧金澤亭)があったと思われるのは、法善寺横丁のこの辺り(画面左手一帯)か。千日前筋と浮世小路に挟まれた小さな路地裏(法善寺裏)に、人々の笑い声が響いていた。


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