「わろてんか」を楽しむための落語・寄席基礎用語まとめ(超初心者向け)

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」のヒロイン・てんは、吉本興業を興した実在の女性起業家・吉本せいがモデルです。

現在は漫才師やお笑いタレントを多数抱える吉本興業(旧・吉本興行部)ですが、もともとは大阪の片隅で吉本泰三・せい夫妻が小さな寄席を買い取ったところから商いがスタートしています。

この記事では、「わろてんか」の物語前半で(たぶん)登場するであろう「寄席」「落語」に関する基礎知識、基本用語をまとめてみます。詳しい方にとっては「何を今さら」という基礎中の基礎の事柄をまとめていますのでご注意下さい。

・木戸銭(きどせん)

寄席の入場料金のこと。昔の寄席の出入り口には「木戸」があり、そこに「木戸番」が立っていたことからこう呼ばれる。

吉本夫妻が最初に買収した寄席「第二文藝館」の木戸銭は最低水準である5銭に設定され(当時の一流寄席の木戸銭は15~20銭程度)、番組内容も物真似や音曲、剣舞といった「色物」が中心。落語に詳しく気難しい旦那衆ではなく、気楽に笑いを楽しみたい庶民、労働者をメインターゲットとした。

ちなみに現在の東京の寄席(定席)の木戸銭はおおよそ2,500円から3,000円程度。

・色物(いろもの)

落語主体の寄席において、その合間に入る「曲芸」「音曲」「漫才」「紙切り」「手品」「太神楽」などの演目を指す。

寄席の表に掲げられた出演者一覧の看板を見ればわかるが、落語家が「黒文字」で書かれるのに対し、落語以外の演者たちは「朱(赤)文字」で書かれることから、「色物」と呼ばれるようになった。

見る側にもある程度の知識が必要とされる落語に対し、「色物」はわかりやすく派手な演目も多く、大正から昭和にかけては色物が寄席を席巻した。

・番組(ばんぐみ)

現代で「番組」といえばテレビやラジオの放送内容、組み合わせを指すことが多いが、落語の世界で「番組」といえば、その日の演目の内容、組み合わせのこと。

落語を中心とするか「色物」を多用するか、大看板の噺家を連れて来られるか、はたまた売れない噺家を引っ張って来て安く興行を行なうのか…。寄席ごとに特色が出る「番組」の構成は、興行主の腕の見せ所でもあった。

吉本では、芸に精通していたせいの夫・泰三が番組構成を主に担当。色物や三流芸人を集め、安い木戸銭で「わかりやすい笑い」を提供したことで、吉本の寄席は大人気になっていく。

・席亭(せきてい)

寄席の運営者、経営者のことを指す。もともとは「席亭主」「席主」と呼ばれていたものが短縮された。

「わろてんか」でもヒロイン・てんが席主となり、並み居る男たちを相手にして興行の世界で活躍していくことになるはず。

・定席(じょうせき)

一年中落語が聞ける常設の寄席のこと。

大阪では戦災で寄席が消滅し、2006年に「天満天神繁盛亭」が開席するまで、落語をいつでも本格的に楽しめる「定席」がなかった。東京では新宿・末廣亭、上野・鈴本演芸場、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四席が、一般的に狭義の「定席」といわれる。

定席以外にも、大きなホールや会館で開かれる独演会や一門会、カフェや小スペースを借りて落語家が独自に開催する落語会、勉強会などが多数開催されている。


▼そこそこ分厚くて重い本ですが、上方落語から万歳→漫才の成立、時代を彩った名人たち、新喜劇、諸芸・色物、寄席や劇場、ラジオ・テレビ演芸まで。関西のお笑いの歴史がかなり本気でまとめられている神的な一冊。

・お茶子(おちゃこ)

もともとは道頓堀にあった芝居茶屋で立ち働く女性「お茶屋の子」が語源。寄席においては客の案内、お茶配りなどの接客全般や、楽屋での芸人の世話などを担当する女性。お茶子は上方落語独特の存在で、東京の寄席では前座の若手落語家が行なう高座の座布団返しも、上方ではお茶子が行なう。

吉本せいの人生をモデルにした山崎豊子の小説「花のれん」では、寄席の集客や収益をも左右するお茶子の活躍ぶりや、客からの祝儀で落語家以上に稼ぐお茶子たちの姿、席主がライバル寄席のお茶子を味方に取り込もうとする様子などが描かれている。

・下足番(げそくばん)

現在の寄席の多くは土足のままで入場するが、昔の寄席は畳敷きの客席が大半だったため、客は履物を脱いで下足番(履物を管理する人)にそれを預けた。

下足番は客からの評判を直接聞く立場にあったことから、番組編成権を持つこともあったとか。

・大入り

会場が満員になること。「大入」と書かれた大入り袋が関係者に配られることも。

昔の寄席のように畳敷きの会場では、大入りの際にいかに多くの客に詰めて座ってもらうかが、収容人数、ひいては興行の収益に直結していた。客に非礼なく効率的に場所を詰めてもらう業務は、お茶子たちの腕の見せ所。

・桂派、三友派、反対派

明治7年(1874年)に桂文枝の跡目争いが勃発して以降、上方落語界は「桂派」と「三友派」に分かれていた。

「桂派」は文枝の正当な後継者を自負しており、名人が玄人ウケする渋く上手い漫才を演じていた。

一方の「三友派」は若手落語家が多い反主流派で、色物を織り交ぜるなど娯楽性を追求。桂派に比べ技量も低く問題児も多かったようだが、反面柔軟さも持ち合わせており、やがて三友派が盛り返し形成が逆転していく。

これら二派より後発、岡田政太郎が起こした「反対派(岡田反対派、浪速反対派)」は、この三友派の面白路線をさらに追求。色物も落語と同列に扱い、「とにかく面白ければいい」という指針で、労働者を中心ターゲットにお手軽な笑いを追求していった。吉本はこの「反対派」と組み、大阪の笑いに新しい風を巻き起こしていくことに。

※「わろてんか」では、元僧侶の太夫元・寺ギン(兵動大樹)が、伝統を重んじる大阪の演芸界において「オチャラケ派」を結成して一世を風靡。「オチャラケ派」は「反対派」がモデルか?

・法善寺裏

現在の法善寺横丁。

路地には桂派の象徴だった寄席「金澤亭」、三友派の象徴だった寄席「紅梅亭」があり、法善寺裏一帯は上方落語の中心地だった。勢力を広めていった吉本はついに金澤亭、紅梅亭を買収し、上方落語は吉本により「統一」されることに。

・桂春團治(初代)

高座以外でも何かと話題が絶えなかった破滅型天才芸人で、戦前上方落語界のスーパースターだった初代・桂春團治。

三友派に所属し、法善寺裏の「紅梅亭」などで人気が爆発。後に吉本に移籍すると、吉本せいの言いつけを破って勝手にラジオ出演を強行し、吉本から家財差し押さえの処分を受けてしまう。

この時春團治は、「この家で一番値打ちがあるのは俺の口や」といって差し押さえ札の一枚を自らの口に貼り、新聞記者にその姿をパチリと写してもらった(伝説の一枚)。この写真が翌日の新聞に載ると、その芸人魂に対し人々から拍手喝采が集まり、ますます春團治の人気が沸騰していくことに。

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