【あさが来た】あいすくりん、ガス灯、牛鍋…「文明開化万々歳だす!」

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第13週(12月23日〜)では、あさ(波瑠)が初めて東京へと出張し、文明開化が進む街の様子に胸を躍らせる描写があります。

この記事では、ドラマに登場し、「文明開化万々歳だす!」とあさを絶賛させた文明開化の数々と、それにまつわる当時の状況などをまとめます。

※あさが初めて東京へやってきたのは、明治11年(1878年)のこと。この年、東京では東京株式取引所が開業し、日本初の電燈(アーク灯)が点灯され、陸軍士官学校開校、それに東京市に区制が布かれる(15区)など、近代都市として着実に発展を続けていました。

▲外国人観光客を魅了する、大阪の明るい夜。
Photo by: Kristoffer Trolle

・陸蒸気(蒸気機関車)

大阪から船で横浜港へと到着すると、あさは陸蒸気に乗り新橋まで向かっています。石炭産業に携わるあさにとって、陸蒸気への乗車は念願でした。

日本で初めて営業用鉄道(新橋〜横浜間)が開通したのが明治5年(1872年)のこと。明治7年(1874年)には大阪〜神戸間でも鉄道が開通しています(明治10年に京都まで延伸)。これを見ると、あさが大阪で陸蒸気に乗っていてもおかしくありませんが…笑。

※「あさが来た」に登場した陸蒸気の走行シーンは、愛知県の「博物館明治村」で撮影されています。撮影に使用されたと思われる「蒸気機関車12号」は、実際に開業当初の新橋横浜間を走行していた車両です。

・馬車、人力車

あさとうめは、「文明開化」を象徴する町の様子として馬車と人力車の多さを挙げています。

少し意外ですが、日本の近世において牛車が使われることはあったものの、馬車が登場したのは明治初年以降のこと。東京〜横浜間で乗客輸送用の乗合馬車が営業を開始させたこと、馬車道が整備されたことなどにより、馬車は急速に日本各地に広まっていきます。

人力車も、明治3年(1870年)に東京府から製造と販売が許可されると、駕籠に代わりすぐに人気の交通手段となっていきます。東京市内に1万台あったとされる駕籠は、その数年後には町から姿を消しています。

・あいすくりん

五代友厚の東京事務所・東弘成館で出された「あいすくりん」。当時はまだまだ希少なものでしたが、ようやく街なかでも食べられるようになってきた時代でもあります。

一般社団法人・日本アイスクリーム協会によれば、日本人で初めてアイスクリームを食べたのは、幕末(万延元年)の遣米使節団だったとのこと。

その後、明治2年(1869年)に横浜で日本初のアイスクリーム「あいすくりん」(牛乳、卵、砂糖が原材料)が製造販売され、明治8年(1875年)頃には東京・麹町の開新堂や、風月堂、函館館などがアイスクリームをメニューに加えています。

アイスクリーム製造が本格的に工業化されるのは、大正9年(1920年)のこと(冨士食料品工業)です。

・85本のガス灯

あさが五代友厚とともに見た、「1里の間に85本も並ぶ」という東京の夜のガス灯風景。これは恐らく、1874年(明治7年)に東京・銀座通りに設置された85基のガス灯のことだと思われます。

日本で最初に西洋式ガス灯が灯されたのは、1871年(明治4年)大阪の造幣局周辺とされます(機械の燃料として用いたガスを流用)。翌1872年(明治5年)には横浜で数十基のガス灯がつくられ、これが日本の都市ガス事業の始まりといわれます。

・牛鍋 伊野熊

あさは待ち合わせのために「牛鍋 伊野熊」にやってきます(牛鍋なのに猪、熊…笑)。店内にはいいにおいが立ちこめ、ビールを飲んでいる人がいるなど、これまで見て来た「お茶屋」とは様子が違います。

主に関東で流行した「牛鍋」は、現在でいえば「すき焼き」に似たもの。牛肉をネギ・豆腐などとともに鉄鍋で煮ながら食べる鍋料理です(いわゆる「すき焼き」のように最初に肉を焼くわけではない)。

江戸時代の日本人は牛、豚肉は食べませんでしたが、明治元年に牛鍋屋が開かれると、数年のうちに牛鍋屋は急増。明治10年前後にはウナギ屋を圧倒するような勢いだったとか。

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