【あさが来た】千代・啓介夫妻に子供は生まれる?モデル・広岡亀子の子供は
NHK連続テレビ小説「あさが来た」より。千代(小芝風花)と東柳啓介(工藤阿須加)との間に子供は生まれるのか?についてまとめます。あわせて、千代と啓介のモデルとなっている広岡亀子・恵三夫妻の子供についてもまとめます。
この記事には今後のネタバレも含みますのでご注意下さい。
子宝に恵まれる千代
祖母・よの(風吹ジュン)の願いが通じたのか、晴れて千代は東柳啓介と結婚することになります(明治35年頃)。千代と啓介は加野屋近くの別邸で暮らし始めると、翌明治36年頃には千代妊娠の吉報があさ(波瑠)のもとに届きます(第25週)。
やがて千代は長女・多津子を産むと、最終回放送の頃(明治43年)には三人の女の子の母親となっており、さらにおなかには「四人目」の命が宿っています。
千代は、加野屋の後継者となっていく啓介のことを支えながら、「良き母」として白岡家を守っていくことになるのです。
モデル・亀子も一男四女に恵まれる
千代のモデルである広岡亀子(広岡浅子の一人娘)は、京都の高等女学校を卒業後に子爵一柳家の次男・恵三と結婚し(明治35年頃。恵三が広岡家に婿入り)、結婚後は一男・四女をもうけています。
亀子は明治35年に長女・多恵子(ドラマでは多津子として登場)を出産すると、明治36年に次女・八重子を、明治37年には三女・佐恵子を産んでいます。
「あさが来た」最終回時、千代のおなかには「四人目」が宿っていますが、史実に照らし合わせれば、この「四人目」は明治40年に生まれた「長男・広岡喜一」ということになります。喜一は後に大同生命で取締役を務めています。
亀子はその後、四人目の女児となる美恵子を大正2年に産んでいます。
信五郎は孫の成長を見届ける間もなく…
なお、新次郎(玉木宏)のモデル人物である広岡信五郎は、明治37年に亡くなっています。これは孫である多恵子が生まれてから二年後のことであり、この時系列はおおむねドラマでも継承されそうです。
※史実の広岡信五郎には側室(妾)の小藤がおり、小藤との間にも一男三女をもうけています。このうち、長男・松三郎は大同生命第4代社長に就いています。
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