NHK連続テレビ小説「あさが来た」第7週より。加野屋が買い取った九州・筑前の「蔵野炭鉱」までの道のり、門司港から炭鉱までの距離をまとめます。
明治5年、まだ九州に鉄道は無い
あさ(波瑠)が亀助(三宅弘城)とともに初めて九州の蔵野炭鉱にやってくるのは、明治5年(1872年)のこと。あさは大阪から船で九州へと旅立ち、門司港に到着。さらに門司港からはあさの希望もあって、徒歩で蔵野炭鉱に向かっています。
(※日本初の鉄道が新橋〜横浜間に開業したのが同年秋でしたから、当然ながらまだ九州に鉄道は存在しませんでした。)
あさが徒歩にこだわった理由
この時亀助は駕籠で炭鉱に向かうことを提案していますが、あさは徒歩にこだわります。その理由は、
①山を買うのに莫大な費用がかかっており、少しでも節約してお金を支払い分に回したかった。
②門司港から蔵野炭鉱まで実際に歩いてみて、どのような場所にあるのか、地理条件を知っておきたかった。
という二点。
あさ、亀助、それに案内人の宮部(梶原善)の三人は野宿覚悟で蔵野炭鉱へと歩き始めます。
蔵野炭鉱の場所、門司港からの距離
ドラマに登場する「蔵野炭鉱」は、実在した筑前の「潤野炭鉱」(現在の福岡県飯塚市)がモデルとなっています。
この潤野炭鉱は門司港から直線距離にして40kmほど、実際の行程では50km以上の距離にあります。道中には山道が存在し、徒歩で向かうにはなかなか大変な道のりでした。
▼Google社のテクノロジーがはじき出した、門司港から潤野炭鉱(現在の福岡県飯塚市嘉穂高校付近)までの徒歩ルート。広岡浅子も概ねこれに近いルートで歩いたのではないかと思います。
一日では着かない…
ドラマの原案「小説 土佐堀川」でも、広岡浅子が初めて門司港から炭鉱へと徒歩で向かう様子が描写されています。
浅子は地図により門司から鉱山までの距離を十里(約40km)ほどと目算し、早朝から歩けばその日のうちに鉱山に到着すると目論んでいました。
門司港から日本海沿いに進み、直方付近を経由して山道へ。実際にこのルートを歩いてみると山と谷が連続し、到底一日で到着するような距離ではありませんでした。浅子と案内人の宮下(ドラマでは宮部)は山中で見つけた炭焼き小屋で暖をとり夜を明かし、ようやく翌日昼前になって炭鉱に到着しています。
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