醍醐さんが従軍記者としてシンガポールへ!難攻不落の戦場で見たものは…

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NHK連続テレビ小説「花子とアン」第24週より。

醍醐亜矢子(高梨臨)が、かねてより憧れていた「従軍記者」として単身シンガポールへと向かうことになります。

修和女学校を卒業後、編集者として聡文堂へ入社。その後、宮本蓮子の半生を綴った作品で女流作家としてデビューした醍醐さん。学生時代は恋する乙女だったはずの醍醐さんですが、着々と作家としてキャリアを積み重ねています。

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女流作家から従軍記者へ 醍醐さんの野望

そんな醍醐さんが次なる目標に定めているのが、日本軍に従軍し、戦地の様子を内地へと伝える「従軍記者」。作家・宇田川満代(山田真歩)の従軍記者としての活躍ぶりに憧れ、自身も従軍記者として戦地へと向かいたいと希望を語っておりました。

醍醐さんは貿易会社経営の父のツテにより、従軍記者としてシンガポールに向かうことになります。念願が叶い意気揚々と戦地に向かうのですが…。

難攻不落のシンガポール 醍醐さんが見たものは

太平洋戦争開戦時、イギリスの植民地だったシンガポールは戦略上、大きな意味を持つ場所でした。イギリスの東南アジアにおける植民地拠点であり、難攻不落の要塞と化していたシンガポールは、やがて日本軍により陥落。「昭南島」と改称され、日本陸軍による軍政が敷かれました。

醍醐さんがシンガポールで記者として従軍したのは、ちょうどマレー半島から進撃してきた「日本軍」と、それを迎え撃った「連合軍」が激しい戦闘を繰り広げた時期だと思われます。

さらに悪いことに、醍醐さんが帰国時に乗っていた船は米国の魚雷攻撃に遭い、死を間近に感じて命カラガラの帰国をしたようです。

生粋のお嬢様育ちである醍醐さんにとって、耳で聞くのとはまるで違う戦場の風景は衝撃的だったようで、帰国後は以前の明るさが消え、憔悴しきったまま。醍醐さんは「戦争はむごいものだ」と語ったきり、口をつぐんでしまいます。

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