NHK連続テレビ小説「おちょやん」より。千代が最初に所属する劇団・山村千鳥一座の本拠地、京都・新京極の「三楽劇場(さんらくげきじょう)」についてまとめます。
「三楽劇場」のモデルは、かつて新京極にあった実在の劇場「三友劇場(さんゆうげきじょう)」だと考えられます。
山村千鳥一座の本拠地・三楽劇場
カフェキネマの女給仲間・真理(吉川愛)に教えてもらい、新京極にある三楽劇場を拠点とする山村千鳥一座に所属することになった千代(杉咲花)。
この新京極の地で、千代は最初の師匠・山村千鳥(若村麻由美)の厳しすぎる指導を受けつつ女優としての第一歩を踏み出すことになります。
女性がお芝居を出来る場所を作りたい…。そんな思いで一座を立ち上げた千鳥。しかし、三楽劇場の座本からこれ以上客の不入りが続くのならば一座の公演は今月限りだ、という最後通告を受けてしまいます。
村田栄子一座の本拠 新京極・三友劇場
ヒロイン・千代のモデルである浪花千栄子は、1925年(大正14年)に京都・新京極の三友劇場(後の京極東宝)を活動拠点としていた村田栄子一座に入り、舞台女優としてデビューを飾っています。
この村田栄子一座と三友劇場が、「おちょやん」劇中の山村千鳥一座と三楽劇場のモデルです。
京都の中心部にある新京極は、江戸時代には寺院や墓地が多い寂しい土地でした。そこに京都府当局が街の活性化を狙って芝居小屋などを誘致すると、明治時代の中頃には京都有数の繁華街に成長しています。千栄子が村田栄子一座に参加した大正末期には、新京極は京都の大衆文化の中心地といえる賑やかさを誇っていました。
▼三友劇場(1916~1945年)は1954年に洋画ロードショー劇場・京極東宝となり、2005年に閉館。跡地は現在「スーパーホテル 京都四条河原町」になっています。新京極の賑わう通りから一歩入ったあたり。
「三友倶楽部」の活動写真館としてオープン
千栄子が女優として初舞台を踏んだ三友劇場は、賑やかな新京極の一角にありました。
その歴史は1909年(明治42年)に実業家・山川吉太郎が設立した大阪初の映画製作会社・三友倶楽部が、1911年(明治44年)に同地に開館させた活動写真館にさかのぼります。
同館は1915年(大正4年)に火災が発生し焼失しますが、翌年に西陣京極にあった寿座を移築し、三友劇場として再オープンをしています。千栄子が村田栄子一座に所属し三友劇場で初舞台を踏んだのは、それから約9年後ということになります。
三友劇場は1945年(昭和20年)に閉館しますが、1954年には洋画ロードショー劇場・京極東宝劇場として再びオープン。2006年に閉館されるまで、新京極の老舗映画館として愛され続けました。
現在は跡地に「スーパーホテル 京都四条河原町」が建っており、その面影は見られません。
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