【とと姉ちゃん・第2週】竹蔵亡き後の小橋家の経済事情 君子が女工(検反)として働くが…

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NHK連続テレビドラマ「とと姉ちゃん」第2週は、父・竹蔵(西島秀俊)が亡くなってから4年後、昭和10年(1935年)頃の小橋一家の様子が描かれます。

この記事では、竹蔵亡き後の小橋家の家計の様子と一家の生活を支える君子(木村多江)の仕事内容、それに小橋家の史実のモデルとなっている大橋家の経済事情などについてまとめます。

遺族援助と女工給金で生活費を捻出

染物工場「遠州浜松染工」の営業部長として働き、一家の家計を支えていた竹蔵。結核により竹蔵が亡くなると、長女の常子(高畑充希)が小橋家の戸主(こしゅ)となり、「とと」の代わりを務めることになります。

とはいえ、第二週現在では常子もまだ女学生の身(15歳)。当面の一家の生活費は「遠州浜松染工」からの「遺族援助(金銭的援助)」と、母・君子が「遠州浜松染工」で女工(検反=布の品質を検査する仕事)として働いた給金によりまかなっています。

遺族援助打ち切りで一家困窮に

「遠州浜松染工」社長・杉野栄治(田山涼成)の厚意もあり、竹蔵亡き後も生活が成り立っていた小橋家でしたが、第2週から第3週にかけて、一家の生活に大きな変化が訪れます。ある日、社長・杉野が小橋家を訪ね、遺族援助を打ち切らせて欲しいと願い出るのです。

杉野によれば、竹蔵の他に新たに結核で亡くなった社員がおり、小橋家だけを特別扱いするわけにはいかなくなったとのこと。この援助打ち切りにより小橋家の家計は一気に傾き、生活は困窮していくことになります。

小橋家モデル・大橋家の金銭事情

ヒロイン・小橋常子のモデル人物である「暮しの手帖」創業者・大橋鎭子は、ドラマ同様に小学五年生の時に父・武雄を結核で亡くしています。

大黒柱を失った大橋一家の暮らしは決して裕福なものではなかったようですが、母方(久子)の祖父・宮原満吉が孫たちを可愛がり、女学校の月謝を払うなど父親代わりとなり、一家の面倒を見たそうです。

この宮原満吉という人はなかなかの実業家だったようで、京都の名所である琵琶湖疎水のインクラインを作る際に周囲に働きかけたり、新聞広告の取次業を起こしたり、新潟で油田を掘り当てたりし、その才能を活かして財を成しました(満吉はその後北海道に渡り、それが縁で武雄と久子は出会っています)。

満吉の娘である久子も、北海道庁立小樽高等女学校を出て東京・本郷菊坂の女子美術学校に通うなど、裕福な家庭の子女として育っています。「とと姉ちゃん」の母・君子も、史実のモデル同様「お嬢様育ち」であることが次第に明かされていくようです。

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