【エール】母・まさの病気 古関裕而はビルマ従軍の帰途で母の死を知る

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NHK連続テレビ小説「エール」第18週では、裕一が音楽慰問のためにビルマへと派遣される様子が描かれています。

この時期、故郷・福島では母・まさは病床にあり、その病状が気になるところです。

裕一がビルマへ 母・まさは病床に

「報国音楽協会」から、行き先不明(恐らく外地)の音楽慰問に同行するように言い渡された裕一。そんな折に、裕一は福島の母・まさ(菊池桃子)が倒れたという電報を受け取ります。

裕一はすぐに母の病の件を軍部に相談しますが、「それほど重態ではないので出発してほしい」という返答しかもらえず、半ば強制的に派遣が決定してしまいます。

裕一が外地へと出発した後、まさの病状が悪化したことを知った音(二階堂ふみ)と華(根本真陽)は、福島の古山家へと疎開。寝たきりになってしまっているまさに付き添い続けます。

以下、古山まさのモデルとなっている古関ひさの病気や亡くなった経緯をまとめます。

ビルマ派遣時、古関裕而の母は病床に

古関裕而の母・ひさ(古山まさのモデル人物)は、昭和19年(1944年)に古関裕而のビルマ派遣が決定した当時、故郷・福島で病床にありました。

古関は母の病状にくわえ、まだ子供が小さいこと(12歳と10歳)などを理由に派遣の辞退を申し出ましたが、当然ながらそのような願いは通るはずもありません。

「貴下に万一のことがあった場合は靖国神社にお祭りいたします。ご母堂様もそれほどご重態でもなさそうですし」という言葉とともに、実質的な命令という形でビルマへの派遣が決まっています。

母の死に目に会えず…悲しい帰国

古関の外地への滞在は長期に渡るものとなりました。

4月に羽田を出発した派遣団一行は、長期に渡りビルマ・ラングーンに滞在。7月に入り大本営がインパール作戦の失敗を認め作戦を中止した後もビルマに留まり、結局帰国が決まるのは8月に入ってからとなりました。

その上古関は、帰国の際に仏印派遣軍司令部に出頭するためサイゴン(現在のベトナム・ホーチミン)に立ち寄ってほしいという要請まで受けてしまい、さらに帰国が先に伸びてしまいます。

そして8月5日。古関裕而は道中のシンガポール(?)で母・ひさが亡くなったという電報を受け取り、悲しみに暮れることになります。

父・三郎次が昭和13年(1938年)に亡くなって以降、女中と二人暮らしだったというひさ。晩年は中風で寝たきりの生活だったそうで、古関は多忙のためビルマ従軍の前に母に会うことが出来ませんでした。ひさの葬儀は古関の帰国を待った上で、1ヶ月遅れで行われたそうです。

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