NHK連続テレビ小説「あんぱん」で、柳井嵩が上京して通うことになる東京高等芸術学校図案科。
この学校は、やなせたかしが通った官立旧制東京高等工芸学校図案科がモデルになっていると考えられます。
絵の道に進む決意をする嵩 東京高等芸術学校に進学

柳井嵩(北村匠海)は中学校の卒業を翌年に控え、母・登美子(松嶋菜々子)の喜ぶ顔が見たいという理由で地元の名門・高知第一高等学校を受験しますが、あえなく不合格。
嵩は一年間の浪人期間中に、伯父の寛(竹野内豊)や幼なじみののぶ(今田美桜)の後押しを受けて絵の道に進むことを決意すると、そこから猛勉強を重ねて見事に東京高等芸術学校に合格。1937年(昭和12年)4月、嵩は高知から上京して東京高等芸術学校図案科で学ぶことになります。
嵩はこの東京高等芸術学校図案科で初めて本格的に絵や芸術について体系的に学び、自由な学風の中で才能を育んでいくことになります。
東京高等芸術学校図案科では、嵩に生き方や人生の考え方を授けてくれることになる担任教師・座間晴斗(山寺宏一)や、かけがえのない友人になっていく同級生・辛島健太郎(高橋文哉)らと出会います。
「机で学ぶことは何もない。おまえら銀座に行け。世の中を心と体で感じてこい」
そんな座間の教えを受けた嵩は、人間生活に対する鋭い観察眼を身に着け、後の創作活動への土台を作っていくことになるのです。
嵩が東京で充実した学生生活を送る一方で、のぶは高智女子師範学校に進学して愛国教育に染まっていくと、次第に自由な生活を謳歌する嵩との間に溝ができてしまいます。
モデルはやなせたかしの母校・旧制東京高等工芸学校
柳井嵩が通う東京高等芸術学校図案科は、漫画家・やなせたかしが通った官立旧制東京高等工芸学校図案科(現在の国立千葉大学工学部総合工学科デザインコース)がモデルになっています。
少年時代から雑誌「少年倶楽部」を読みふけり、次第に絵を描く楽しさにのめり込んでいったやなせたかし。高知県立高知城東中学校(現在の高知県立高知追手前高等学校)を卒業すると本格的に絵を学ぶために東京高等工芸学校図案科へと進学し、上京をしています。
東京高等工芸学校は1921年(大正10年)に設立された旧制専門学校 (実業専門学校)で、工業学校と美術学校をまたぐ領域(産業デザイン)を教える教育機関でした。
戦時中になると東京工業専門学校に改称され、戦後の1949年(昭和24年)に新制の千葉大学工芸学部が発足した際には旧制東京工業専門学校は工芸学部の母体として包括され、千葉大学東京工業専門学校と改称。
その後、千葉大学工芸学部は工学部に改組され、やなせたかしが通った東京高等芸術学校図案科は現在の千葉大学工学部総合工学科デザインコースとなり、その伝統が受け継がれています。
やなせたかしの東京高等工芸学校時代の同級生には、挿絵画家の風間完(かざま・かん)がいます。風間完は1966年(昭和41年)にNHK朝ドラ「おはなはん」のタイトル画を担当し、2002年(平成14年)には菊池寛賞を受賞するなど絵の世界で活躍を見せています。
朝ドラ「あんぱん」では柳井嵩の図案科の同級生として辛島健太郎(高橋文哉)らが登場。健太郎が風間完のように画家として大成していく姿が見られるかも知れません。
やなせたかしの詩「学校」
やなせたかしが書いた詩「学校」には、少年時代に美術系の学校に心が向いた理由や、東京高等芸術学校図案科で自分の絵の才能の限界を悟った心境などが綴られています。
小学校時代は成績優秀、首席しかとったことがなかったやなせたかしでしたが、中学校に入ると急速に成績が悪化。公式を暗記するのが大の苦手で、数学では0点に近い点数を連発したそうです。
そんなやなせたかし少年の心を掴んだのが、文学や芸術の世界でした。
悩ましい受験時代を経て東京高等芸術学校図案科に合格したやなせたかしは、そこでグラフィックデザインを中心に美術・工芸分野を学ぶことになります。
やなせたかしはグラフィックデザインそのものよりもデッサンの授業に熱中したそうですが、同時に、自分よりも絵が上手い人がたくさんいることも思い知らされることになります。
やなせたかしは仲間たちと切磋琢磨する学生生活を通して、自分は画家ではなく「他のなにか」が向いていると感じることになりますが、それが何かがわかるのは随分あとのことでした。
やがて東京高等芸術学校図案科を卒業すると、東京田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)宣伝部に就職。その後も軍に召集され中国に渡ったほか、戦後は高知新聞社の編集部、東京・日本橋三越の宣伝部で働く(この頃には兼業漫画家に)など答えの見えない人生を送っていくことになります。