NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に登場している花山伊佐次(唐沢寿明)は戦後、戦時中に自らの言葉で国民を戦争へと駆り立てた過去に苦しむことになります。
この記事では、花山伊佐次が戦中戦後に辿る足跡を簡単にまとめるとともに、モデルとなっている人物・花森安治の戦争との関わり、ならびに戦後の反戦思想についてまとめます。
「進め一億火の玉だ」自責の念
戦中は「内務省宣伝部」に所属し、「進め一億火の玉だ」などのスローガン作成に携わっていた花山伊佐次。戦争が終わると花山は、自らの言葉が国民を戦争へと駆り立ててしまったことに加え、出征したにも関わらず、結核を患い仲間を残して帰還してしまった自身の不甲斐なさを重く受け止め、自責の念に駆られていました。
常子との仕事
心の闇を抱え、編集の仕事をすべて辞めてしまった花山ですが、猪突猛進の常子の存在が、少しずつ花山の閉じた心をこじ開けていく展開になりそうです。
三姉妹で雑誌「スタアの装ひ」を創刊したものの決して順風満帆ではなかった常子は、五反田(及川光博)の取り計らいもあり、花山に相談する機会を得ます。この席で花山から的確な「ダメ出し」を受けた常子は感銘を受け、花山に対し編集長への就任を要請。この要請はあっさりスルーされるのですが、後日、「一度だけなら」という条件で花山は「スタアの装ひ」を手伝うことを承諾し…。
大政翼賛会に所属した花森「ぜいたくは敵だ!」
花山伊佐次のモデル・花森安治も、戦中の自らの行動に責任を感じて戦後を過ごしたようです。
花森は戦中、二等兵として招集されるも肺結核を患い帰国。その後、大学時代の先輩の手引きで大政翼賛会の宣伝部に所属するようになると、「宣伝技術家」として辣腕を振るい(有名なスローガン「ぜいたくは敵だ!」の創作、「進め、一億火の玉だ」の採用など)、国民の戦意を高揚させる重要な役割を担いました。
花森が出した「条件」
花森は戦後、日本読書新聞社の編集長・田所太郎により大橋鎭子(常子のモデル)を紹介されると、「女性のための出版をやりたい」と熱く語る鎭子をすぐに手伝うことを決め(花森はこの時、年末に立ち上がる広告会社の中心人物として動いていた)、「ひとつ約束して欲しいことがある」として、以下のような考えを伝えています。
・戦争に反対しなくてはいけない
・二度とこんな恐ろしい戦争をしない世の中にしていくためのものを作りたい
・自分の暮らしを大切にし、皆に温かい家庭があったなら、戦争にはならなかった
昭和21年、鎭子と花森は出版社「衣裳研究所」を立ち上げると雑誌「スタイルブック」、続いて「暮しの手帖」を創刊させ、戦後の出版界に大きな足跡を残していくことになります。
二人がタッグを組んだ根底には、「二度と戦争を起こしてはならない」「そのために日々の暮らしを大切にする」という思想が共有されていたのです。
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