NHK連続テレビ小説「軍師官兵衛」に登場しているキリシタン大名・高山右近(生田斗真)。高槻城を居城とし、キリスト教の理念に基づいた国作りを推し進めた戦国の武将です。
右近がこの地を治めていたのは、1573年(天正2)から1585年(天正13)までの間。
右近は高槻周辺の住民にキリスト教の布教を行ない、キリスト教をベースにした国作りに邁進し、争いのない世の中を目指したと言われています。
右近の影響により、官兵衛はキリスト教徒として洗礼を受けることになります。
この記事では、高槻市内に残る高山右近ゆかりの地をご紹介します。
高槻城跡公園
城下町として栄えた高槻。かつての城があった地は城跡公園として整備されています。敷地内には高槻城跡碑や高山右近像などがあります。
畿内の布教中心地・高槻
右近が幼い頃から信仰したキリスト教の名残も高槻市内で見られます。当時、京都や堺と並んでキリスト教布教の中心地だったという高槻では右近の熱心な布教が実を結び、実に領民の7割(人口2万5千人のうち、1万8千人がキリシタンとだったという記録有り)がキリシタンになったといいます。
高山右近高槻天主教会堂跡
宣教師・ルイス=フロイスの記録によれば、現在の高槻商工会議所の向かい、野見神社がある場所には「天主教会堂」があったとされます。大きな木造の教会堂や美しい庭園、それに大十字架などがああったようです。
現在は野見神社向かいの高槻商工会議所に「高山右近高槻天主教会堂跡」の碑と、それを説明する看板が建てられています。
また、教会付近で発見されたという信者の墓地からは、ロザリオや十字架(いずれも高槻市教育委員会が所蔵)などが発見されています。
カトリック高槻教会(高山右近記念聖堂)
高山右近がバテレンの追放により辿り着いた地がフィリピンのマニラ。右近はマニラの地で現地の気候にやられたのか、到着の翌年に異国の地で生涯を終えています。
そのマニラ郊外、アンティポロという場所にある聖母大聖堂を模したのが、カトリック高槻教会。青いドームが印象的なこちらの教会は、1962年(昭和37)の建立。「高山右近記念聖堂」として知られ、右近の精神が今も地元の人々に受け継がれています。