NHK大河ドラマ「真田丸」より。豊臣秀次(新納慎也)から側室になるように求められ、悩んでいたきり(長澤まさみ)。
きりに惚れ込んだ秀次のピュアな気持ちによる申し出でしたが、実はこれを受けるか受けないの返事が、自身のその後の生死に関わってくることを、きりは知る由もありませんでした。
この記事では、もしきりが秀次の側室になった場合に待ち受ける運命と、きりの史実のモデル人物である「高梨内記の娘」が辿る運命などをまとめます。
きりと秀次のロマンスはフィクション
まずはじめに。
きりは実在した「高梨内記の娘」がモデルになっていますが、残された史料は少なく、現在「真田丸」で描かれているきりの行動の大半は創作によるものです。ドラマのようにきりが信繁と共に上洛し、豊臣家の侍女となったという話も定かではありません。というわけで、一連の秀次とのエピソードはドラマ上でのフィクションと考えた方が良さそうです。
その上で…。もし(すでに難色を示してはいますが)、きりが秀次の側室になることを承諾した場合、とんでもない悲劇がきりを待っていることになります。
悲しい運命が待ち受ける秀次
関白となった秀次は今後、秀吉の二人目の子・拾(後の豊臣秀頼)が生まれたことで、次第に秀吉から疎まれ、苦しい立場に追い込まれていきます。
やがて秀次は、謀反や敵に通じている疑いをかけられてしまいます。文禄4年(1595年)、ついに秀次は高野山・青巖寺へと追い出されると、7月15日に秀吉の使者・福島正則により切腹を求められ、その生涯を閉じています。
一族根絶やし…
この一連の騒動は、秀次の死だけでは終わりませんでした。同年8月2日には、秀次の妻子、側室ら39人が秀次の首を拝ませるという名目で連れ出され、市中引回しの後、京都・三条河原で大量に処刑されています。
文字通り、秀次一族を「根絶やし」にしようとする壮絶な処刑となったわけですが、もしきりが秀次の側室になることを承諾していれば、当然、側室としてその一員に加わることになっていたでしょう。
※この時、豊臣秀次の娘・隆清院は処刑を逃れ、後に信繁の側室となっています。ドラマでは信繁三番目の妻・たか(岸井ゆき)として登場。
史実によれば「高梨内記の娘」は後に真田信繁の側室となり、娘・阿梅をもうけており、きりが三条河原で処刑されることは有り得ないのですが、もしきりが情にほだされて秀次の側室を受けていたら…。フィクションとはいえ、恐ろしい運命の分かれ道です。