NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(2016年)で西島秀俊が演じる父・小橋竹蔵という人物についてまとめます。
あわせて、モデルとなっている実在の人物(大橋武雄)についてもまとめます。
家族想いの優しい「とと」
ヒロイン・小橋常子(高畑充希)は遠州・浜松で育ちますが、早くに父を亡くすことになります。
常子ら三姉妹の父・小橋竹蔵は、浜松の染物工場の営業部長として働いています。娘たちから「とと」と呼ばれる竹蔵は、家族愛にあふれ仕事熱心で、理想的な父親。物静かな性格で他人と揉めるのが嫌いで、仕事の営業先でも信頼感を得ているようです。
※竹蔵が自らを「とと」と娘たちに呼ばせたのは、「怖い父親」が定番だった当時の父親像を取り除き、娘たちとの距離感を近づけるためとのこと。
竹蔵、肺結核で亡くなる
そんな「とと」に見守られ幸せに育った三姉妹でしたが、竹蔵が結核にかかって亡くなることで、生活が一変してしまいます。母・君子(木村多江)はのんびり屋であまり外で働いた経験がなく、大黒柱を失った女ばかりの一家を、長女・常子が支えていかなければならなくなるのです。
死の淵にある竹蔵から「当たり前の生活を大切にし、家族のことを頼む」との言葉を受け取った常子は、この言葉を終生大切にし、家族、そして仕事と向き合っていくことになります。常子がこれからの人生で成し遂げていく偉業には、父・竹蔵の言葉が大きく影響していくのです。
モデルは大橋鎭子の父
父・小橋竹蔵には、モデルとなっている実在の人物が存在します。
ヒロイン・常子のモデルである「暮しの手帖」創業者・大橋鎭子(おおはし・しずこ)の父・大橋武雄がその人。
武雄は岐阜県養老郡時村(現在の大垣市)生まれ。父親が早く結核で亡くし、10歳の時に東京・深川の材木商 ・大橋谷吉、きん夫妻の養子になっています(祖父の従兄弟の家)。
武雄は東京府立一中に進むと、北海道帝国大学予科に入った先輩の影響もあり、北大に進学しています。卒業後東京に戻った武雄は、北海道に縁がある日本製麻株式会社に入社。鎭子が一歳の時には母子を連れて「工場長」として北海道に赴任しています。
しかし、北海道で武雄が肺結核にかかると一家は療養のため東京に戻り、鎭子が小学5年生の時に武雄は亡くなっています。
鎭子は、亡くなる直前に武雄から「一番大きいのだから、お母さんを助けて妹たちの面倒も見てあげなさい」と頼まれています。武雄が亡くなると、鎭子は小学5年生にして喪主を務め、以後は家長として大橋家を支えていくことになります。
母・久子が夫の肺結核で大変な苦労をしたことなどから、鎭子は結婚に対してポジティブなイメージを持っていなかったとも言われます。鎭子が生涯独身を貫いたのも、父から家族(母と妹二人)を守るように言われたこと、それに、早くに父を亡くし、苦労した母の姿を見続けた生い立ちなども関係しているようです。
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