【ブラタモリ】川越編ロケ地②「小江戸」のルーツを探す旅【新河岸川舟運・喜多院建築】

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この記事は、【ブラタモリ】川越編ロケ地①「小江戸」のルーツを探す旅【時の鐘・蔵造りの町並み】からの続きです。2015年6月20日(土)放送のNHK「ブラタモリ」のロケ地をまとめています。

ロケーション③「江戸・川越を結ぶ」新河岸川の舟運(しゅううん)

川越の中心部から南へ四キロほど。続いてタモリ一行は、「新河岸川(しんがしがわ)」という小さな川にやってきます。この新河岸川こそが江戸時代以来昭和初期まで、江戸と川越とを結んでいた重要な水路だったのです。

現在は水位も浅く川幅も狭い新河岸川ですが、かつては人工的な改修により激しい蛇行、湾曲部が多数つくられ、流れを悪くすることで水かさを増していました。現在の川の様子からは想像もつかないような、大きな船も行き来していたそうです。

タモリ一行は、かつて船問屋が軒を連ねていた旭橋付近へ。付近で現在でも一件だけ残っている元船問屋「伊勢安」を訪ねます。この建物にはかつての船問屋の「帳場」が残る他、舟運の受注を記した帳簿も残されています。

明治22年頃の帳簿には、川越から江戸に俵物(米)、醤油、油粕、綿実など農産物を、江戸から川越に砂糖、酒などの加工品を運んでいたという記録が残されています。また、かつて豆州(伊豆)熱海から川越へ、温泉を運んでいたという記録もあります。それだけ川越一帯に裕福な人々がいたということでしょう。


▲東武東上線・新河岸駅からも近い元船問屋「伊勢安」。新河岸川にかかる旭橋(県道336号線)から少し入ったところにあります。あくまで民家ですので、外観見物の際はご迷惑のかからぬよう…。

ロケーション④「江戸城建築が現存」喜多院

最後にタモリ一行は、「小江戸のルーツ」とも言える寺・喜多院を訪れます。

喜多院と言えば平安時代に創建された川越を代表する寺ですが、実はこの喜多院こそ、「小江戸」の原点であり、舟運発展のキッカケとなった寺なのです。

喜多院には、400年前の建物「三代将軍家光公の別殿(客殿、書院、庫裏)」が移築され、現存しています。これはかつて江戸城西の丸・紅葉山にあった本物の御殿で、家光の命によりこの地に移されました。

寛永15年(1638年)、喜多院は大火により山門以外のすべてを失います。当時の喜多院の住職・天海大僧正(1536-1643)は、徳川家康から家光まで三代に仕え、幕府の政策にも深く関与した重要な人物でした。天海大僧正に恩義を感じていた家光は、自分が住んでいた江戸城の御殿(別殿)を天海に譲る(移築する)ことで、寺の再建を後押ししたのです。

この移築の際の運搬に新河岸川の水運が利用されたのですが、これが、江戸川越間の舟運が始まるキッカケとなったとか。

「三代将軍家光公別殿(客殿、書院、庫裏)」は、大人400円の拝観料を払うと見学することができます。この日の「ブラタモリ」では、「家光公誕生の間(客殿)」「春日局化粧の間(書院)」の内部の様子が紹介されたほか、秘密の階段を上がる「隠し部屋」なども見ることができました。

※拝観について詳しくは喜多院のサイトをご覧下さい。

380年前に、新河岸川を使って川越に移された江戸城の御殿。それをきっかけに舟運が始まり、川越と江戸が深くつながることとなり、現在の「小江戸・川越」発展の基礎となりました。喜多院は「小江戸」のルーツ、スタート地点といえる場所なのです。

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