川越「菓子屋横丁」で火事【ブラタモリ川越編・放送翌日】

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2015年6月21日(日)午後0時10分頃、埼玉県川越市の「菓子屋横丁」にある「室岡製菓」から出火し、同店を含む計11棟が焼ける火事がありました。この火事で、「室岡製菓」店主・室岡登三男さん(90)が亡くなり、近所に住む男女4人も喉などに軽い火傷を負いました。

菓子屋横丁「室岡製菓」から出火

「室岡製菓」は、川越観光のメインストリートである「一番街(蔵造りの町並み)」から路地に入った「菓子屋横丁」の端、高澤通りに面した場所にあります。この一帯は木造建築が狭い路地に立ち並ぶ一角。日曜日ということもあり当時は多くの観光客が訪れており、現場付近は一時騒然となりました。

出火当時、店主の室岡さんは店内で揚げ餅をつくっていたそうで、何らかの原因で火が室内に引火したのではないかとの見方が強まっています。「室岡製菓」は元祖をうたう「芋まんじゅう」と、大きく膨らんだ煎餅「ふくれせん」で知られる人気店。

前日のブラタモリで「川越の火事の歴史」が話題に

奇しくも、この火事の前日(20日)夜にはNHK番組「ブラタモリ」川越編が放送されました。番組ロケに「菓子屋横丁」は登場しませんでしたが(オープニングイメージ映像に少しだけ登場)、すぐ横の「蔵造りの町並み」が紹介されたこともあり、それを見て川越に来ていた観光客も多かったようです。

▼川越「蔵造りの町並み」。東京では失われてしまった「江戸」が見られるとして、近年人気上昇中の観光地。
(Photo by ロケTV)


「ブラタモリ」では川越が「小江戸」と呼ばれるようになった要因のひとつとして、「川越の火事」の歴史を取りあげていました。

それによれば、

①明治26年(1893年)に川越大火により中心街が焼失し、町の再建の際に江戸・東京から大工、左官職人を呼んで建物をつくったことが、結果的にこんにちの「蔵造りの町並み」の景観をつくりだした

②寛永15年(1638年)に喜多院が大火により山門以外全てを失い、これに憂慮した三代将軍家光が恩義のあった喜多院住職・天海大僧正(1536-1643)のために江戸城にあった別殿を移築(現存)した(これをきっかけに江戸川越間の舟運が始まった)

というように、川越でたびたび発生した大火が、結果として「小江戸・川越」を生み出す引き金になったといった内容でした。

こうした「川越と火事」の歴史をテレビで見た上で訪れた観光客や地元の方々にとって、この日の火事は大きな驚きがあったことでしょう。ご近所の方の話によれば、近年、この近辺で大きな火事は発生していなかったとのことです。

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