朝ドラ「あんぱん」嵩と健太郎が配属される宣撫班(せんぶはん)とは?やなせたかしも所属

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NHK連続テレビ小説「あんぱん」第12週では、中国・福建省に駐屯する嵩が「宣撫班(せんぶはん)」という工作部隊に配属される様子が描かれます。

この記事では、宣撫班がどのような任務を担うのか簡単にまとめるとともに、嵩が宣撫班で果たす役割、モデル人物であるやなせたかしが中国遠征で宣撫班としてどのような活動を行ったのかをまとめます。

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中国に出動する小倉連隊 嵩は宣撫班に配属

小倉連隊に入営し、神野万蔵軍曹(奥野瑛太)率いる内務班に配属されていた嵩(北村匠海)。

やがて部隊が中国・福建省の奥地に出動すると、嵩は絵の腕前を買われて宣撫班(せんぶはん)に配属されることになります。

宣撫班は「宣伝して撫(なだ)める」という意味を持つ工作部隊。

占領地域の住民の理解と協力を得るために、地元民に娯楽や医療、インフラなどを提供して日本軍に親しみを覚えてもらうための仕事(工作)などを行う集団です。

具体的には、

・現地語で「日本軍は解放者である」といったビラをばら撒き、ラジオによる宣伝活動も行った。
・学校や教育施設を設立し、日本語教育の実施や日本の皇国史観を教え込む教育などをアシスト。
・映画、演劇、紙芝居、新聞などを駆使し、反米反英、親日(日本、満州、中国の親和精神)の思想を現地民に広めた。
・現地の有力者と懇意になり、日本軍に理解を持つ住民の自治組織を設立させたり、協力者を育てた。
・現地民の理解を得た後には軍用道路、架橋、軍需物資の調達等に協力してもらうよう手配。
・鉄道路線や道路、通信網などを守るために各地に「鉄路愛護村」を建設。

といった活動が挙げられます。

宣撫班はこうした活動を通し現地民たちから日本軍への敵対心を取り除き、日本軍に協力(労働力の提供、現地情報の提供など)をさせるように工作。また、共産・抗日思想の勢力を一掃し、中国に健全な(親日的な)政権を確立するための協力なども行っていました。

プロパガンダを推進するという仕事の性質上、宣撫班のメンバーには広告広報業務の経験者や、語学や知識に長けた学者系、娯楽の創作が得意な芸術・クリエイター系などの人材が多く登用されたようですね。

やなせたかしの宣撫班での日々

「あんぱん」柳井嵩のモデルである やなせたかしも、戦時中に所属していた小倉連隊が中国・福州に遠征すると宣撫班に抜擢されています。

やなせたかしは東京高等工芸学校の図案科で絵やデザインを学び、卒業後は東京田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)の宣伝部で働いていましたから、まさに宣撫班にうってつけの人物だったのです。

宣撫班に配属された やなせたかしは、持ち前の芸術的才能を活かして紙芝居「双子ものがたり」を創作すると、これを持って中国の農村地帯を回る日々を送っています。

紙芝居はゆく先々で大好評だったようで、紙芝居上演後には現地人が美味しい豚肉の料理やラーメンのような麺類をご馳走してくれたのだとか。

また、福州の人たちは「日本と中国が戦争をしている」といっても信じてくれず「あれは他国の話だ、上海の話だ」と言っていたそう。やなせたかしは宣撫班の活動を通して当時の中国人たちの生身の声を聞き、その人柄に触れていったようですね。

「あんぱん」嵩、紙芝居「双子の島」を創作

朝ドラ「あんぱん」でも、嵩や健太郎(高橋文哉)が宣撫班に配属され、反日の態度を見せる現地民と向き合っていく様子が描かれます。

ある日、日本軍を正義の味方・桃太郎に見立てた紙芝居を上演したものの、現地中国人の村人から「日本兵は嘘つきだ!」という猛反発を受けてしまった宣撫班。

そこで白羽の矢が立ったのが、芸術学校出身で漫画も得意である嵩でした。

地元民が喜ぶような楽しくわかりやすい紙芝居を製作しろと命令を受けた嵩は、同じく宣撫班に合流した健太郎の協力を得て、日本と中国を兄弟に見立てた「双子の島」という紙芝居を完成させます。

これは、父・清(二宮和也)が手帳に書き記していた「東亜の存立と日支友好は双生の関係だ」という言葉や、旧友で同じ駐屯地にいる岩男(濱尾ノリタカ)が現地の中国人の少年と仲良くしている様子などを見て、着想を得たもの。

日中友好をイメージさせる内容である紙芝居「双子の島」を上演すると、現地民からは面白いという声があがり…。

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