朝ドラ「とと姉ちゃん」まだまだ安月給だった昭和11年頃の女性就職事情 タイピストは高給取り?

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第7週(2016年5月16日〜)で、ヒロイン・小橋常子(高畑充希)が就職先について悩む場面が描かれました。

この記事では、常子がスクラップしていた求人広告の内容と、当時の給料、物価、女性の働き口などについてまとめます。

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常子の「求人広告スクラップ」

昭和11年(1936年)のこと。同級生の多くが卒業後に結婚していくらしい中で、常子は働き口を探すために、求人募集の広告とにらめっこをしていました。

常子が女学校に持参したスクラップノートには、当時はまだ少なかった女性向け求人広告がぎっしり。それを見た「お嬢様」の中田綾(阿部純子)は、「そんなに安いの?すべて男の人の半分以下じゃない!」と呆れます。

タイピスト 月給四十円

常子のスクラップブックに貼られていた求人内容は、以下のようなものでした(画面より書き出し、引用)。

・日動生命保険株式会社木場出張所 女性助手(事務)採用 月二十八円
・岩本商事 女性事務員募集 月三十円
・白田屋 呉服販売 月三十二円
・大塚商事 電話交換手 月三十四円
・富田自動車 女子事務員募集 月?円
・鳥巣商事 タイピスト 月四十円

中田綾は、女性としては高給であるタイピストを常子に薦めますが、残念ながら女学校が持つタイピストの推薦枠はすでに「一組の後藤さん(おのののか)」が得ており、常子の職探しの悩みは尽きません。

女性は給料が安い仕事ばかり…

昭和11年当時の女性は、まだまだ労働市場において弱い立場にありました。

昭和10年当時の大卒初任給(男性・月給)が73円、勤労者世帯の実月収平均が91円ほどであり、前述した求人広告群に書かれている月給30円台というのがいかに安いかがわかると思います。

戦前の女性労働事情

19世紀末から20世紀初頭(明治~大正)にかけて、女性労働者の多くは農業や繊維産業(いわゆる「女工」)などに従事していました。

1910年代頃(大正初期)からは自立して都市部で働く「職業婦人」(事務員、教師、医師など)が増え始め、1916年頃(大正5年)には和文タイプライターの普及に伴い女性の「タイピスト」が急増。1920年頃(大正中期)からは都市部を中心に「モダンガール」が登場し、「エレベーターガール」「バスガール」など、華やかな職業婦人も出現しています。

とはいえ、1929年(昭和4年)の世界恐慌の影響もあり、一度は盛り上がったかに見えた女性たちの自由への希求も萎み、やがて第二次世界大戦の苦しい時代へと突入していきます。

常子が職探しを行なった1936年(昭和11年)は、「モダンガール」の時代から暗い戦争の時代に突入する狭間の頃。女性と男性が対等の立場で働くようになるのは、ずっと後の時代のことです。

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