朝ドラ「ばけばけ」松野家・雨清水家の家系図 モデル・小泉セツ(小泉家、稲垣家)の家系図、子供まとめ

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NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のヒロイン・松野トキが育つ松野家と、松野家の親戚・雨清水家の家系図(家族関係図)をまとめます。

物語に登場する雨清水家と松野家は、ヒロインのモデル・小泉セツ(小泉八雲の妻)の生家である小泉家と養子先の稲垣家がモデルになっていますので、こちらの家系図や小泉セツの子供などもまとめます。

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目次

【ばけばけ】松野家と雨清水家 家族関係図

まずはじめに、「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)に関する家系図・家族関係図をまとめます(第1週時点)。

ばけばけ家系図_松野家と雨清水家
「ばけばけ」ヒロイン・松野トキの家系図(松野家・雨清水家)_物語開始時点

松野家は4人家族 元上級武士の家柄

ヒロインが育つ松野家は、松江藩の元上級武士だった家柄。トキは松野家の一人娘です。

トキの両親の司之介(岡部たかし)とフミ(池脇千鶴)はとても優しく娘想いで、父方の祖父の勘右衛門(小日向文世)は昔気質ながら孫にデレデレ。トキは松野家の4人で暮らす穏やかな生活が大好きです。

武士としてのプライドが高い勘右衛門(ご隠居)の影響もあり、一家の大黒柱である司之介は明治維新後の世の中に馴染めず、一家は貧乏ぐらしを続けていました。

第1週で描かれたように、長年無職だった司之介は一念発起して「うさぎの転売業」の商いを手掛けますが、大失敗をして大きな借金を抱えてしまいます。

トキは学校をやめて遠戚である雨清水傳が経営する織物工場に働きに出て、司之介が抱えた借金を返済する苦しい日々を送ることになります。

遠戚のエリート士族・雨清水家 織物工場の経営を手掛ける

松野家の遠縁の親戚にあたる雨清水家(うしみずけ)は、松野家よりも家格が高い由緒ある家柄です。

当主の雨清水傳(堤真一)は、文武両道の武士として松江藩にその名を轟かせたというエリート。才覚のある傳は織物工場の商いを始めると、すぐにこれを軌道に乗せています。

傳の妻の雨清水タエ(北川景子)は雨清水家よりもさらに家格が高い家の出身で、代々家老を務めたという名家の生まれ。そのため傳はタエに頭が上がらず、タエは夫のことを「傳(でん)」と呼び捨てにしています。

タエは雨清水家を守ることに強いプライドを持ち、その後継者となる子供たちの存在に誇りに思っています。

3人の男子が生まれた雨清水家

傳とタエの間には3人の男子が生まれたようです。

跡継ぎである長男の氏松(演者不明)は織物工場の経営に携わっていきますが、やがて金策に詰まると「工場の窮状はひとえに私の責任」との手紙を残して失踪(出奔)。

残された三男・三之丞(板垣李光人)が急遽後継者となり、一家の命運を握ることになります。※史実どおりなら次男は早世か。

トキをやたら可愛がる傳とタエ

ヒロインのトキは幼少期から雨清水家に通い、お茶やお花などのお稽古ごとを「おばさま」のタエから習っています。

タエも傳もトキのことを幼い頃から何かと気にかけており、単なる親戚以上の気配りを感じます。

以下、松野トキのモデルである小泉セツ(小泉八雲の妻)の家系図、家族関係図をまとめます。

「ばけばけ」に登場している松野家と雨清水家は、セツが育った稲垣家とその親戚の小泉家がモデルになっていると考えられます。「ばけばけ」トキの家族、血縁関係はこの史実がもとになっており、一部今後のネタバレとなる内容も含みますのでご注意ください。

【史実モデル】小泉セツの生家・小泉家、養子先の稲垣家

ばけばけ_小泉セツの家系図
朝ドラ「ばけばけ」ヒロインのモデル・小泉セツの家系図、子供たち

▼参考までに「ばけばけ」の家族関係図も並べておきます。史実の家系図との相似関係がよくわかると思います。

ばけばけ家系図_松野家と雨清水家
「ばけばけ」ヒロイン・松野トキの家系図(松野家・雨清水家)_物語開始時点

松野トキのモデルである小泉セツは、1868年(慶応4年)に松江藩士の小泉湊・チエ夫妻の次女(6人きょうだいの4番目)として松江で生まれています。

小泉家は松江藩のお番頭(警護職の頭)を務め禄五百石だった上級士族で、セツの実母のチエは禄千五百石だった江戸家老の娘。チエは松江藩中でもよく知られた美しく知的なお嬢様でした。

小泉湊・チエ夫妻の娘として生を受けたセツですが、生後すぐに遠戚の稲垣家に養子に出されています。これは、子供が居なかった遠戚の稲垣家と小泉家との間で「次に小泉家で子供が生まれたら稲垣家の養子とする」という取り決めがなされていたためであり、セツはお七夜の頃に稲垣家に連れて行かれ、稲垣金五郎・トミ夫妻の養女となり大切に育てられています。

小泉家、稲垣家はともに維新後に没落し、セツは扶養家族(養父・金五郎、養母・トミ、養祖父・万右衛門)を抱えて機織工場で必死に働く青春時代を過ごしています。

セツは早い段階で自分が貰い子であることを知っていたのだとか。生家の小泉家をあまり良く思っておらず、稲垣の養父母、養祖父のことを何よりも大切にしていたそうです。

▼小泉セツ自身が語る、夫・小泉八雲との日々、自身の出自に関する複雑な思い。

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【史実モデル】小泉八雲とセツの子供は?セツは2度の結婚を経験

小泉セツは23歳の時に出会った小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻となり、夫の作家業を支えるとともに、八雲との間に4人の子供(一雄、巌、清、寿々子)を出産したことで知られます。

セツはこれより前に一度離婚歴がありました。19歳の時に鳥取の士族の家柄だった前田為二という男性を婿に迎えたのですが、為二は家の貧窮ぶりに耐えきれず、結婚から一年ほどで出奔(逃走)。

セツは為二の逃亡先だった大阪に出向いて復縁を説得しましたが上手くいかず、結局結婚から4年後に離婚が成立しています。

この離婚が成立した年に小泉八雲は英語教師として松江に赴任。翌年にセツが八雲の身の回りの世話をする女中の仕事を請け負ったことから、二人は運命の出会いを果たしています。

▼小泉八雲とセツはともに最初の結婚に失敗した、再婚同士でした。当時としては珍しい国際結婚であり、18歳差の年の差婚でもありました。

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