朝ドラ「あんぱん」週刊陽向の懸賞応募作品「ボオ氏」 週刊朝日漫画賞受賞作品「ボオ氏」が元ネタ

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NHK連続テレビ小説「あんぱん」第23週・第113回(2025年9月3日放送)では、嵩がのぶの勧めにより週刊誌のマンガ懸賞に挑戦。漫画家生命をかけた新作漫画「ボオ氏」を完成させます。

このエピソードは、モデルであるやなせたかしが同名の作品「ボオ氏」で週刊朝日漫画賞を受賞した史実がモデルとなっています。この「ボオ氏」が読める本があるのかなども含め、まとめておきます。

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【あんぱん】のぶの勧めで週刊陽向の漫画コンクールに挑戦 「ボオ氏」が完成

▼やなせたかしの自伝としてはこの一冊が好評のようです。銀座モダンボーイの修業時代、焼け跡からの出発、長かった漫画家無名時代,そしてついに生まれるアンパンマン…。病気になってしまった愛妻・暢との日々の描写は「あんぱん」視聴者にはグッときます。

著:やなせ たかし
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1967年(昭和42年)。相変わらず「売れっ子」ではあったものの漫画家として代表作を描けずにいた嵩(北村匠海)は、のぶ(今田美桜)の勧めにより週刊誌の漫画コンクールにチャレンジすることになります。

のぶが見つけてきたのは、「週刊陽向35周年記念 漫画コンクール」と題された漫画懸賞の広告。懸賞金100万円、プロアマ問わず募集!と謳われたこのコンクールの募集規定は以下のとおりです。

「週刊陽向35周年記念 漫画コンクール」募集規定

募集規定
▷一ページにおさまる六あるいは八コマのマンガ、半年間26回連載分。
▷場所、時代は問いませんが、人物または動物、怪物を主人公(複数でも)としてください。
▷宛先 東京都千代田区東有楽町2-14 毎朝新聞社内「週刊陽向懸賞マンガ係」

すでにプロ漫画家としてのプライドがある嵩は失敗を恐れて挑戦に逡巡しますが、のぶの後押しもあり、漫画家生命をかけてこのコンクールにチャレンジすることを決意します。

なかなかアイディアがまとまらず苦しむ嵩でしたが、のぶが父・結太郎の遺品である帽子を被って掃除機をかけている姿を見て、大きな閃きを得ることになります。

「そうだ。ずっと主人公の顔がわからなかったんだ…。でも、それでいいのかもしれない。僕が頭の中に思い浮かんでいるのは正体がわからない男なんだ、顔だってなくていいし名前だってなくていい。国籍だってなくていい。独りぼっちでいいんだ…!」

「名前は…ナニガシ(某)…ナニガシ(某)。ボオ…帽子だ…。ボオ氏だ、ボオ氏だ!」

こうしてアイディアが浮かんだ嵩は、渾身の新作漫画「ボオ氏」を完成させて…。

▼のぶは嵩に懸賞チャレンジを勧めた後に「賞金もろうたら、昔みたいにかき氷とラムネ、おごってもらうきね」と語っています。海辺で嵩、千尋、ヤムおんちゃん、朝田三姉妹で食べたかき氷とラムネの美味しさは、のぶにとってかけがえのない若き日の思い出です。

【史実】やなせたかし、「ボオ氏」で週刊朝日漫画賞を受賞

▼現在は入手が困難な「無口なボオ氏」(版元:サンリオ)。漫画家・やなせたかしの初期の漫画集です。国立国会図書館(東京都千代田区)にも「無口なボオ氏」は所蔵されています。

「あんぱん」第23週で描かれる一連のエピソードは、嵩のモデルであるやなせたかしが48歳だった1967年(昭和42年)に4コマ漫画「ボオ氏」で週刊朝日漫画賞を受賞した史実が元になっています。

勤めていた三越百貨店から独立しフリーの漫画家となっていたやなせたかしでしたが、漫画家としては長らく代表作に恵まれず。ドラマでも描かれているように「困ったときのやなせさん」として他ジャンルでの多彩な仕事を主な収入源としていました。

1964年(昭和39年)からNHK番組「まんが学校」に講師役として3年間にレギュラー出演し、翌年にはまんがの入門書を執筆するなど、大人漫画・ナンセンス漫画の復興に取り組んでいた、当時のやなせたかし。

漫画家としての苦悩が続いていたやなせたかしが生み出したのが、帽子をかぶった素性のわからない男を主人公とした漫画「ボオ氏」だったのです(帽子と某氏を掛け合わたアイディアをもとにしたシュールな作品)。

こちらのサイトでも一部内容が紹介されていますが、「ボオ氏」は帽子をかぶった素性のわからない男が主人公。セリフはなく、謎の帽子男「ボオ氏」が絵を描いたり昆虫採集をしたりする中でさまざまなシュールな出来事が発生していきます。

後に「アンパンマン」で子どもたちのヒーローとなる国民的キャラクターを生み出すやなせたかしですが、もともとはシュールでナンセンスな大人向けの漫画も好んで描いており、「ボオ氏」ではやなせたかしの芸術家肌の一面が垣間見えます。

▼ラジオドラマ「やさしいライオン」を書き上げたのも同じ1967年のこと。

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