「ブラタモリ」大分・日田に2年半住んだタモリ 勤務地(ホテル・ボウリング場)、ゆかりの地まとめ

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2021年2月13日に放送されたNHK「ブラタモリ」は、「進撃の日田〜囲まれた世界の宝とは?」と題し、大分県日田市の魅力が語られました。

その中で、若き日のタモリが日田で2年半に渡り暮らしていた過去が語られましたので、その経緯とゆかりの地をまとめておきます。

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日田のホテル、ボウリング場で2年半働いたタモリ

この日のロケは、日田市大山町の響渓谷からスタート。番組冒頭でタモリは「ちょっとあの、私事喋っていいですか?」と切り出すと、今から50年ほど前の20代の頃に日田に住んでいたことを明かしています。

それによれば、日田に居たのは24歳〜25歳の頃

当時日田市内にあった大きな温泉ホテルの親会社の社長がタモリと友達で、なぜか社内の内紛が絶えなかったというそのホテルの内部事情を探るために、頼まれて「潜入調査」をしていたそうです。

タモリはそのホテルで働きながら売店のおばちゃんや料理長、ボイラー技師など様々なスタッフと喋り、情報収集をして回ったそうです。タモリいわく「社内ブラタモリ」状態だったとのこと。

そして、もうそこを辞めようと思っていた頃に、今度はそのホテルがボウリング場を経営することになったそうです。社内で誰もボウリング場の運営ノウハウを持っている人がいなかったため、タモリは機械メンテナンスやボウル穴掘りなどのライセンス一式を取得。そのまましばらくボウリング場で働いていたとのこと。

Wikipediaからの引用となりますが、学費未納により早稲田大学を抹籍処分となったタモリは、

抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行し、バンドの司会などでかなりの収入を得ていたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤務し、2歳年上の同僚の女性と結婚した。その後旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属となった

とのこと。

この後にタモリは喫茶店のマスターに転職し、山下洋輔、赤塚不二夫らとの出会いに恵まれ、やがて世に出ることになるのです。若き日の様々な人生経験がタモリの芸の引き出しを増やしているのでしょうね。

ホテル、ボウリング場跡地…思い出の地が登場

▼三隈川沿いにある「大分友愛病院」(日田市上野)。かつてタモリが「潜入調査」をしていたホテルはここにあったらしい。

この日のロケでは、かつてタモリが働いていた温泉ホテル、ボウリング場の跡地も登場。川の対岸から眺める形ではありましたが、思い出の地への再訪が実現しています。

タモリが働いていたというホテルは現在は建物も建て替えられ、「大分友愛病院」となっています。また、タモリが支配人となったというボウリング場は現在「ホームプラザ ナフコ 日田店」というホームセンターになっています。※あくまでタモリ自身の記憶をもとにしたもの。実際は違う可能性もあります。

当時は朝から夜中まで働き詰めで、この川沿いの道の往復を繰り返す日々。結局日田の街のことをほとんど知らないまま、この地を去ったそうです。

タモリは当時出会った日田の人々を思い出しながら、「日田の人たちはね、本当に面白い人たちが多いんですよ。仕事はしないんですけどね」と語っています。鯉の仕掛けをしてくるために必ず仕事に遅刻をしてくるおじさんの面白エピソードなども披露されています。

▼ボウリング場があったというホームセンター「ホームプラザ ナフコ 日田店」。

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