NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に登場する茶々姫(二階堂ふみ)についてまとめます。
近頃すっかり豊臣秀吉(竹中直人)がご執心なのが、二階堂ふみが演じる茶々姫です。茶々は秀吉の側室であり、正室・ねね(黒木瞳)との間に嫡子に恵まれなかった秀吉、豊臣家にとって今後重要な存在になっていきます。
茶々は浅井長政を父に、織田信長の妹であるお市の方(内田恭子)を母に持ちます。浅井三姉妹の長女で妹に初、江がいます。
父の浅井長政は織田信長と敵対し、姉川の戦いで敗北した後に自害。
母のお市の方は、浅井長政の死後に柴田勝家の妻となります。やがて勝家が秀吉と対立し賤ヶ岳の戦いで敗れると、お市は勝家とともに北の庄城内で自害しています。
信長の姪なのに…秀吉の側室に
そもそもが茶々は信長の姪であり、かつて伯父に仕えた足軽上がりである秀吉の側室になることに対し、屈辱的な気持ちもあったのでしょう。
それに加え秀吉が深く関係している父母の死の経緯もあり、茶々は秀吉に対し良からぬ感情を持っています。「父・浅井長政、母・市の仇!」と言いながら茶々が秀吉に斬り掛かる場面もありました。
今や関白となり、全てが思うままとなった秀吉にとって、何かと秀吉に反発する茶々は唯一思い通りにならない存在。それゆえ、秀吉はますます茶々に興味を持っていきます。
▲茶々は後の淀君。身長170cmと大柄の美人。戦国一の美女と言われた母・市の美貌を受け継いでいたようです。
画像はWikipediaより転載(パブリックドメイン)
茶々姫は後の「淀殿」 後継者・秀頼を産む
まだまだ生意気盛りの娘、茶々姫ですが、後に「淀殿」「淀君」「淀の方」として歴史に名を残すことになります。と言っても、一般的には悪い意味で名を残しているのですが…。
淀君は天正17年(1589年)に秀吉との最初の子、棄(すて、捨=鶴松)を、文禄2年(1593年)に秀吉の子・秀頼を生み、秀吉の死後は秀頼の後見人として豊臣家の実権を握ります。
しかし、徳川と対立するようになると、ことごとく時局を読み違え、最後は「大阪夏の陣」で秀頼らとともに自害しています。
おね(黒木瞳)との対立、息子・秀頼を心配する余りの戦局の読み間違えなどなど、結果的に豊臣家を滅亡させた張本人とも言われます。
希代の悪女?淀殿のイメージ
以上のような経緯もあり、淀殿は戦国期においても有数の「悪女」として知られます。性格も傲慢でプライドが高く、「信長の姪」「秀吉の遺子の母」であることを笠に着て、城内では随分とやりたい放題だったと語られています。(※こうした淀殿に対する評価、イメージは戦勝側の徳川によってつくられた可能性もあります。)
ドラマ「軍師官兵衛」では、茶々は秀吉の後継を生むことで豊臣家で影響力を増していきます。おねとの対立、豊臣家の破滅への道へと、二階堂ふみが「希代の悪女」をどう演じるのか、楽しみです。
関連記事
・【真田丸】茶々(淀殿)① 父母・浅井長政、お市の方を失った過去 秀吉に恨みあり?
・【軍師官兵衛】西軍・石田三成の大誤算 淀殿が秀頼出陣を断固拒否!【関ヶ原】
・【軍師官兵衛】豊臣秀次切腹 一族子女も処刑された三条河原「秀次事件」とは