2014年12月6日(土)放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」第49話。いよいよ放送もあと二回を残すのみとなり、物語は佳境へと進みます。この記事では「豊臣家滅亡」に一役買った(?)淀殿(茶々=二階堂ふみ)の言動についてまとめます。
西軍の切り札「豊臣秀頼出陣」
1600年(慶長5年)。いよいよ天下分け目の関ヶ原の戦いに向け、徳川家康(寺尾聡)は江戸城から西へ進軍、石田三成(田中圭)は大垣城へと入ります。
ここまでの一連の動きは黒田如水(官兵衛=岡田准一)の事前の読み通り。西軍の拠点である大垣城に入った三成はそこで時間を稼ぎ、「豊臣秀頼出陣」という必勝カードを切ってくる…。それが如水が描いた、その後の戦況予測でした。
豊臣秀吉(竹中直人)の正統な後継者である嫡男・豊臣秀頼が徳川征伐のために出陣するとなれば、徳川は逆賊であり西軍側に大義あり、という明確な対立構図が出来上がります。これにより三成側の士気は格段に上がり、徳川についた豊臣恩顧の大名たちも三成の側に流れてくる…。
母・淀殿の大反対 息子が心配で…
▼傍若無人、権力を笠に着てやりたい放題…一般に「悪女」と言われる淀殿ですが、実は戦が始まると場内でオロオロ…意外に「普通の人」だったとの噂も…?(画像はWikipediaから転載)
如水が予想した通り、三成もこの「必勝カード」を切るために秀頼に出陣を要請します。しかし、これに待ったをかけたのが、秀頼の母であり豊臣の実権を握っていた淀でした。
「なりませぬ!秀頼はまだ8つ!」「戦場で万一の事があったらどうする!?」
可愛い盛りの息子・秀頼を想う故の、母としての自然な気持ちだったのでしょう。淀は頑なに秀頼出陣を認めません。
三成は淀の説得を試みますが、結局失敗に終わってしまいます。「幼い秀頼に頼らねばならぬほど窮しておるのか?」「わざわざ秀頼を担ぎ出さずともよかろう」という淀の言葉に、三成はただ虚勢を張り、勝利の約束をするしかありませんでした。
東軍八万、西軍十万。数の上では三成有利のはずが…
調略や内通が跋扈した関ヶ原の戦い。開戦時、関ヶ原には東軍八万、西軍十万の軍勢が集結したとされます。
三成は敵方が八万と知り勝利を確信したようですが、その頃、家康の元には黒田二十四騎の一人・毛屋主水により「敵(西軍)の数、二万!多くて三万!」との報告が届いています。
これは西軍十万のうち、戦う気の有る者は実質石田、宇喜田、小西、大谷ぐらいであり、その他多勢は山の上に陣取り、成り行きを見ているだけだとの主水の洞察から導き出された報告です。
小早川秀秋、吉川広家…相次ぐ内通、寝返り
実際、いざ戦が始まると小早川秀秋(秀秋は家康に内応していたが最後まで迷っていた)、脇坂安治ら複数の大名が寝返ったほか、吉川広家が事前に東軍に内通していたなど、蓋を開けてみれば西軍はバラバラ。あっという間に勝負は決してしまうのです。
豊臣家、転落の道へ
結局、三成が淀を説得できず、秀頼を出陣させられなかったことが西軍にとっては大誤算だったと言えます。関ヶ原の戦い後、豊臣家の支配地は大坂65万石に減らされます。
それから15年後の大坂夏の陣で敗れた淀と秀頼は自害、ついに豊臣家は滅亡してしまうのです。
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