NHK連続テレビ小説「マッサン」は、ヒロイン・亀山エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)の死によって物語の終わりを迎えます。この記事では、エリーならびにモデルとなった竹鶴リタ氏の死因、亡くなったときの様子などをまとめます。
運命共同体のように人生を一緒に切り開いてきたマッサンとエリーですが、ついに別れの時を迎えることになります。
貧血で何度も倒れるエリー
ドラマ「マッサン」では最終週放送(3月23日〜28日)に入ると、エリーの体調が優れず、繰り返し倒れる場面が描かれます。
もともとエリーは血液の量が少ないため、マッサン(玉山鉄二)やエマ(木南晴夏)はエリーの貧血が悪化しているものだと考えていました。しかし、主治医である一恵先生の見解はそれとは異なったものでした。
「残された時間をできるだけ楽しく過ごさせてあげてください」
ドラマでは恐らくはっきりとした病名は登場しないと思われますが、エリーの身体はこの時すでに、深刻な病魔に冒されていたのです。
マッサンに見守られ…
結局エリーはマッサン宛に最後の「ラブレター」を書き上げた後、マッサンに見守られながら眠るように亡くなります。64歳。マッサンとの結婚生活は41年、エリーが日本に来てから40年の歳月が過ぎていました。マッサンはショックのあまり、二日間に渡り寝室に閉じこもって泣き続けます。
異国の苦労もあり病弱だった竹鶴リタ氏
さて。ドラマの描写だけだとイマイチ「死因」がハッキリしませんので補足として、エリーのモデルとなった人物・竹鶴リタ氏の晩年もまとめておきます。
リタ氏は60歳を超えた頃から肺や肝臓を患い、体調を崩しがちになります。これはもともと幼少期からの虚弱体質に加え、故郷とは気候風土が異なる日本での生活が身体に堪えたとも言われます。
この頃、リタ氏は厳冬期には寒さを避けて神奈川・逗子で静養し、暖かくなると余市へ戻るという生活を繰り返しています。
最後は肝硬変が命取りに
そして本格的にリタ氏の体力が弱ったのは亡くなる半年前、昭和35年頃。結局最終的には肝硬変が命取りとなり、昭和36年(1961年)1月に夫・竹鶴政孝氏に看取られ64歳で亡くなっています。
政孝氏はリタ氏が亡くなるとおおいに取り乱し、家族らを驚かせたそうです。
美園の丘に建つ夫婦の墓
リタ氏は余市のウイスキー工場を見下ろす美園の丘に葬られました。この墓にはリタ氏の名前とともに政孝氏の名前が刻まれました。政孝氏がいつでも愛する妻の隣りに行けるようにとの思いを込め、刻まれたものです。
夫・政孝氏の死因は?
政孝氏がこの墓に入るのは、リタ氏が亡くなってから18年後のこと。昭和54年(1979年)8月に85歳で亡くなっています。
「朝日新聞・アーカイブ」によれば、政孝氏の死因は肺炎で、東京都文京区の順天堂大学付属病院で亡くなったとのこと。愛妻が亡くなってから18年後、ようやく政孝氏は愛するひとのもとへと旅立ったことになります。
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