NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、「パートナー」としてともに雑誌づくりに邁進することになる小橋常子(高畑充希)と花山伊佐次(唐沢寿明)。
この記事では常子と花山との出会い、それに、二人のモデルとなっている大橋鎭子と花森安治の出会いの経緯などについてまとめます。
常子と花山との出会い
常子が内務省宣伝部に勤める花山に初めて会ったのは、甲東出版に入社してすぐのこと。雑誌「新世界」の挿絵の原稿を催促しに行った常子は、なかなか作業に取りかかろうとしない花山をけしかけ、見事原稿を手にしたのでした。
常子は気性が激しく小難しい花山という人物を苦手に思う一方、彼が描く絵の優美さに対しては素直に素晴らしいと感じ入っていました。二人は戦後、五反田一郎(及川光博)の取り計らいもあり再会することになります。
「スタアの装ひ」にダメ出し
自らの雑誌「スタアの装ひ」を姉妹とともに創刊させた常子は、今ひとつ軌道に乗らない事業について相談するために花山を訪ね、そこで的確なダメ出しを受けることになります。
手探りで雑誌づくりを始めた常子にとって、経験豊かな花山の指摘は目から鱗。常子は花山の能力に感嘆し、雑誌の編集長への就任を要請します。
しかし花山は戦時中の自身の行動に対する自責の念により、出版との関わりを絶つ決意をし、珈琲屋を営んでおり…。
史実では起業を決意し、花森に相談
史実のモデル、大橋鎭子と花森安治の出会いはこれとは少し違うものでした。
戦前から「日本読書新聞社」に勤めていた鎭子は、戦争が終わると家族を養うために自ら出版業を立ち上げる決意を固めます。そのことを読書新聞社の田所編集長に相談したところ、類い稀な編集技術を持つ花森安治に相談するよう薦められ、二人は運命の出会いを果たすことになります。
当時の花森は読書新聞社に出入りしていました。鎭子も花森と挨拶を交わすなど、その存在自体は以前から認識していましたが(鎭子は花森を怖い顔で近寄り難い人と思っていた)、しっかりと会話を交わしたのはこの時が初めてでした。
花森は鎭子の家族への想い、女性のための出版をやりたいという考えを聞くと、その場ですぐに鎭子を手伝うことを約束しています。
絶妙のタイミング
花森はこの当時、戦時中に所属していた大政翼賛会が解散し、宙ぶらりんの身。この年の年末に自身が中心人物の一人となって広告宣伝会社を設立させる予定で、その準備に奔走していました。鎭子がこのタイミングで花森に相談をもちかけなければ、少なくとも鎭子と花森がタッグを組んで創りあげた金字塔雑誌「暮しの手帖」は誕生しなかったわけです。
花森という強力なパートナーを得た鎭子は、東京銀座に出版社「衣裳研究所」を立ち上げ、最初の雑誌「スタイルブック」を創刊することになります。「女性のための雑誌」という鎭子のおぼろげな理念は、花森との出会いを経て、具体的な形になっていくのです。
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