朝ドラ「とと姉ちゃん」三女・美子のモデル大橋芳子の生涯 結婚は?

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NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の三女・小橋美子のモデルとなっている女性、大橋芳子の生涯、結婚などについてまとめます。

芳子は雑誌「暮しの手帖」を支える重要なメンバーでした。

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目次

北海道生まれの末っ子

大橋武雄、久子の三女として北海道の地(武雄の赴任先)で生まれた芳子。長姉・鎭子とは三歳差、次姉・晴子とは二歳差の「末っ子」で、一家は武雄が結核にかかったことで芳子四歳の頃に東京(鎌倉)に戻っています。

その後、大黒柱を亡くした大橋家が辿る命運は、(かなり改変はありますが)大筋で「とと姉ちゃん」のドラマ通り。家長となった長女・鎭子は戦後に家族と協力し出版社「衣裳研究所」を立ち上げ、「スタイルブック」、そして「暮しの手帖」というヒット雑誌を手掛けていくことになります。

「衣裳研究所」創業メンバーの一人

三女・芳子も、姉が立ち上げた「衣裳研究所」の創業メンバーとして次女の晴子、そして花森安治らとともに名を連ねています。

芳子が「衣裳研究所」、のちの「暮しの手帖社」で担った役割は、原稿依頼や編集業務が主。特に雑誌の創成期でまだまだ各方面からの信頼を得られない時期に、芳子は鎭子とともに原稿依頼に奔走。持ち前の粘り強さを発揮し、幾度も断られながら物理学者の長岡半太郎、作家の三島由紀夫らから原稿を勝ち取っています。

また、鎭子の女学校時代の友人で「衣裳研究所」に参加するようになった中野家子(ドラマでは中田綾として登場)が得意の裁縫を活かして直線断ちの服をつくると、鎭子と芳子がモデルになるなど、早くから芳子は「衣裳研究所」の現場業務の最前線に携わっています。

芳子には、直線断ちのワンピースを着て前述の三島由紀夫を訪ね、その衣裳を褒められて喜んだというエピソードも残っています。こうしたオシャレ好きだった人柄を参考にしつつ、「次第に衣裳に興味を持っていく」というドラマの小橋美子のキャラクターが創造されたものと思われます。

生涯独身だった芳子 2014年に亡くなる

大橋芳子は姉の鎭子と同じく、生涯結婚せずに独身を貫いたそうです。ただし、ドラマ上では常子が「二人の妹を嫁に出す」との誓いを立てており、史実の通り独身を貫くのかは不透明です。

※大橋三姉妹の中では晴子だけが「衣裳研究所」の立ち上げメンバーだった横山啓一と結婚をしています。二人の間には女児、男児が生まれ、この男児の結婚相手・横山泰子は「暮しの手帖」の後継者になっています。

芳子は、鎭子が亡くなった翌年の2014年に89歳で亡くなっており(亡くなったときの肩書きは「暮しの手帖社・取締役」でした)、その喪主は次女の晴子が務めたそうです。最後まで共に暮らし仲良しだった三姉妹ですが、次女の晴子(ドラマでは鞠子)が姉と妹を見送ったというのは、なんだか切ないですね。

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