【軍師官兵衛】千利休が秀吉の怒りを買い切腹を命じられる その要因とは?

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10月12日(日)放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」より。

これまで豊臣秀吉(竹中直人)に仕え、傍らから冷静に助言を送っていた茶人・千利休(伊武雅刀)でしたが、暴走が止まらない秀吉に助言した事で逆鱗に触れてしまい、堺での蟄居(刑罰の一種。閉門の上で自宅謹慎)を命じられます。秀吉に許しを請おうともしなかった利休は、ついには切腹を申し付けられてしまいます。

茶人として名声と権威を誇ったはずの利休が切腹の命を受けた原因は、後世様々に語られています。ドラマ「軍師官兵衛」では、以下の三つの出来事が積み重なり、秀吉の利休への怒りが頂点に達したというストーリーを採用しています。

原因その1 朝鮮出兵に異論を唱えた

ついに天下を統一した秀吉でしたが、暴走は一向に止まらず、今度は「明」の征服の道筋のために朝鮮出兵を企てます。これまでの乱世により国全体が疲弊している状況を見て、利休は官兵衛(岡田准一)とともに朝鮮出兵の取り止めを秀吉に訴えることになります。

利休は大阪城の茶室で、国の疲弊の現状、無理な戦により人心が秀吉から離れてしまう事、豊臣家の行く末を案じる心などを包み隠さず秀吉に伝えます。これを聞いた秀吉は予想通り(?)、自身に意見する利休に対し怒りを露にします。

原因その2 三成の告げ口!「大徳寺・利休の木像」

利休からの助言で怒りに震えている秀吉に対し、石田三成(田中圭)がまたしても余計な一言を吹き込みます。

それによれば、利休が安価な茶器類を高額で売り付け、暴利を得ているとのこと。

さらに決定的に秀吉を怒らせたのは、同じく三成によって秀吉に伝えられた、大徳寺三門に飾られた「利休の木像」の存在。この木像は楼門の二階に設置され、「天下の秀吉様」ですら利休の足元を通らなければならない仕様になっている、と三成は秀吉に「告げ口」をします。これを聞いてついに秀吉の怒りは爆発。利休は堺での蟄居を命じられてしまいます。

原因その3 もはや弁明はしなかった

堺で蟄居の身となった利休の元に、おね(黒木瞳)からの使いとして官兵衛が訪れます。官兵衛は利休に対して秀吉に許しを請うようにとの説得を試みます。

しかし、利休は何一つ間違った事はしていないとし、茶人の誇りとしてここで頭を下げるわけにはいかないと頑として説得を聞き入れません。

結局、弟子である古田織部らの奔走も虚しく利休は切腹を命じられます(秀吉は当初、蟄居を命じたのみで、死罪までは考えていなかったという説あり)。享年70。

利休の首は京都の一条戻橋でさらし首にされ、前述の大徳寺三門の「利休の木像」に踏ませる形で晒されたという説も。当時の秀吉の怒り具合が想像されます。

利休の死の原因には諸説あり

「軍師官兵衛」では以上の三つの原因が引き金となり、利休が切腹に至ります。

ドラマで描かれた以外にも、利休が秀吉から娘を妾に出すように望まれたが断った説、茶道に対する考えからの食い違いで仲違いになった説、茶室で秀吉を暗殺しようと企てた説などなど、利休が秀吉の怒りを買い、切腹に至ったとされる要因には数々の説が存在します。

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